第1956話 生きた道の精神
- 2021/01/19
- 14:03

連日の引っ越し片付け作業で久し振りに平和ボケから抜け出したと言っても過言ではないですが、しかし、昨年の春から、コロナコロナで多くの人の緊張生活はなかなか解放できていないことは不動の事実でしょう。去年の緊急事態宣言解除の後、多くのレストランが大繁盛していたことはこれを証明していますね。近頃では多くのレストランが8時までの営業もあって、流石に夜遅くまで町で遊ぶ人間は減りますが、日本は特に夜の一杯の文化...
第1871話 真珠の例え
- 2020/10/26
- 00:39

研究会は七年目に突入しており、会員さんの中では同じ学年の方もいまして、それはあくまでも私が日本国で生まれて、自然に学校に通うならば、同じ学年の方とは自然と同じレベルの考え方になりそうですが、実際のところでは、私はいつも同じ学年の方の背中を見ながら仕事をしている気がしますね。戦後の日本の教育はよくないと色々な分野で言われていますが、実際に学校の教育がいかなるものかもかかわらず、日本国で実は多くの方が...
第1570話 自身の虚実の足りなさ
- 2019/12/05
- 12:12

自分自身の虚実の足りなさを感じる人は当然、武術として太極を練習している人しか感じないです。自身の体の中にある骨格が互いにぶつかっていることは人間として中々感じない者です。人間はどちらかと言うとしっかりした体と骨格が強さだとの認識が当たり前です。筋トレや自分の体を物体にぶつかることによって強さを訓練しているのは今日の世の中では流行っていますね。これで体の一部の強さを手にいれても体全体の強さを手に入れ...
第1508話 似松非松への思い
- 2019/10/06
- 08:23

世界の沢山の太極拳ネットでこの「似松非松」という言葉に言及していますが、当然、解釈もそれぞれ異なります。一般的には制定太極拳だと両手と両腕は力が入っていると思いますね。起脚の際はもっと両手に力を入れるのでしょう。これでは基本的に体の回転を牽引しやすくなります。逆に伝統と名乗っている多くの人も両腕に力を入れるべきだと言っていますが、これは、「ポン勁」などと言っているようです。最近では我が母国もまた、...
第1505話 手と断面の位置づけ
- 2019/10/03
- 12:12

呉式太極拳はたとえ、文化革命が終わったころでも呉式太極拳の動作が中国語で「紧凑」という言葉で表現されていましたが、今では多くの呉式太極拳(鑑泉社を含む)を練習している人間が両手をまったく自身の断面に入っていないか、手はほぼ所定の方向になっているのに体が斜めでかなり緩い型になっている状態は本当にひどいですね。呉式太極拳はただ、体が八卦の方向にしっかり向けているだけではなく、自身の手が八卦の方向が壊さ...