第2132話 2021年7月12日
- 2021/07/12
- 13:25

太極では、人間の骨格を子供が遊ぶ積み木のように例えられています。人間は基本的に腕以外の部分は骨の上に骨が重なり、長い間の重力で人間は骨と骨が積み木にように重なっていれば、人間の骨格は徐々に石灰化になっていくのが定めです。骨と骨の間には椎間板とか半月板のような緩和がありますが、歳と共に摩耗も変形も避けられないわけです。太極の理想は、椎間板や半月板の代わりに一本ずつの骨が実際に重ね合わせていない状態で...
第1668話 経絡か骨か
- 2020/03/12
- 11:59

以前にも人間の内勁がどうなるべきか、当然、まずは人間はどう訓練すれば自分自身の気を感じるのかを言及しましたが、結果としては内勁が足元に到達していればよいと申し上げていました。この言い方では誤解もかなりおおくなると感じて、今後は定期的に内勁の話しをさせていただければと思います。世の中では多くの人が色々な武術の内勁や用法で太極内勁と比較していますが、はっきり申すと太極内勁は他のいかなる内勁とも違うので...
第1640話 集結か到達か
- 2020/02/13
- 11:41

時は1980年代初頭、上海の各大公園では多くの人が気を練習していました。これは、時の流行でした。あの頃は丁度改革開放がはじまり、人々は自由に商売ができるようになりましたが、色々な武術も気功もあの頃では急に各公園で現れましたね。武術は改革の前でも民間人の人達が公園で教えはしなかったものの、一応、大都会の朝の公園はいつの時代も武術を練習する人が絶えません。当時の中国ではこれが都会だとの概念は不動のものでし...
第1511話 気への意識はすべきか
- 2019/10/09
- 11:53

太極は一種の気功であることは今日では多くの方と共有できますが、何故か、気についての話し合いになるといつも意見が分かれてしまいます。これはもう前の世紀の80年代からはじまったことであり、特に驚くことでもございません。逆に、私が感じている気の難しさは丁度、太極の難しさにぴったりと重なっていることは40数年の太極拳訓練で徐々に悟ってきました。気は、我々のいかなる意念にも動じずに体に存在していることは古代の色...
第1483話 色々な気の解釈の困惑
- 2019/09/11
- 11:49

「太極拳は元々、一種の気功である」と、これは先代の馬岳梁が1980年代の前半に一人の弟子が馬に気功を教えてくれとの願いに対する答えでした。当時、家の誰かが「八門五歩」気功を一般の弟子に披露したそうです。人って誰もなにかの速成法で内勁を手に入れる歪んだ気持ちはかつても今日もまったく変わらないようですね。当時の先代二人は色々と相談を重ねましたね。私もその一部を横で自然と伺ってしまったのです。まあ、出来るだ...