第894話 体の流れから来る内勁
- 2018/01/31
- 11:34

内勁、と言う言葉ですが、古代の人が長い間の訓練とかなり静粛した脳と体の状態下に自分自身の体の中の一種の動きを感じるようになることから来ました。内勁、近代の科学、医学の観察ではまだ確認できていません。ドイツでかなりの研究が進んでいますが、太極拳の専門家を測ったところでは体の周りには一定量の遠赤外線が見つかっていたそうです。でも、我々は静かになればなるほどに自分自身の体の中の動きが感じるようになります...
第893話 下苦功
- 2018/01/30
- 11:03

思い起こすと2年前に中国太極門の責任者の一人の馬江麟師父が来日の際にわたくしの研究会の皆様が歓迎パーティーを開催されたのですが、馬師は色々と質問を受けて行く中で、「下苦功」と言う言葉を言及しました。通訳を担当したわたくしともう一名は少し戸惑いを感じていましたね。まずはこれ、近代人ならば一般的にもっと頑張るとの一言で片付けてしまいます。もともと、この言葉は長い間に苦しみを耐えての修練という意味で知ら...
第892話 腰椎と股関節
- 2018/01/29
- 00:36

まったくと言ってもよい程に、この2つの関節の性質は違います。腰椎は他のパーツの誘導がなければ、自ら動き出すことはかなり困難ですが、股関節は自ら動けるはずです。例え寝た切り状態でも股関節の動きが可能です。腰椎は太極拳の命とも言われていますが、実際に腰椎を動かすにはあまり簡単なことではありません。原因は腰椎周りの筋肉があまりにも複雑で、体の他の筋肉による誘導がなければ自ら動くことはほぼ無理だと言われて...
第891話 当たった一瞬
- 2018/01/28
- 08:09

一部の打撃の専門家とのお付き合いの中で、上手い人であればあるほどに拳が相手に当たった一瞬にすぐに離れていくようになりますが、下手な人程に相手に強い衝撃を与えようとして、拳や足がかなり長い時間に相手の体にべったりくっ付きます。当然、その方々に当たったらすぐに跳ね返るようにやってみてと頼むと今度は、懸命に力いっぱいで当たった手や足を引こうとします。当然、このようでしたら打撃自体はかなり弱いはずです。本...
第890話 命の長さ
- 2018/01/27
- 10:44

昨日はこのとるにすぎないわたくしの誕生日の為に、北海道中国武術倶楽部の先生方や会員様が今日に至る迄にないほどの宴を用意してくださいました。
わたくしはと言うと、今年の誕生日が丁度北海道入りに重なっていることを確認できたのは一週間前でした。
世界でどのような稼業においても競争が激しい東京の中で、そして、景気が緩やかに回復していると報道されつつも実際、我々は本当にどれ程に明るい話題に遠ざかっているのは誰...
第889話 点数
- 2018/01/26
- 13:15

昨日の記事の最後に9.4と言う数字が出ていましたが、これはおそらく、わたくしが現在、制定種目の指導で出せる最高の点数ではないかと思います。
でも所詮、点数は人間がつけるものであって、点数をつける者の世界観や美意識、武術に対する認識のレベルで点数が変わります。
言い換えれば、制定太極拳の世界では必ず点数がその選手の本当の実力とは限りません。
但し、世界で中国武術の後進諸国で明らかに歪んでいる審美感や明ら...
第888話 体の作り方
- 2018/01/25
- 01:30

前回は「感じない動き」について語っていたのですが、しかし、このような動きが出来る体の作り方はいったんどのように作るのだろうかはきっと、多くの方が悩んでいるかと思います。まあ、このへんは太極を一発の殴りで決める方や一つの関節技で人をねじ伏せる方は悩む必要がないでしょうが・・・中国太極門の五大流派の中でも昨今、慌ただしい社会の進化につれられて多くの方が太極拳の形だけの伝授に徹しているようですが、責任を...
第887話 感じない動き
- 2018/01/24
- 10:25

人間は動きがあれば、その動きが人にかかっていれば当然、その動きは感じるはずです。多くの武術は人に当たる強さを競い、衝撃の強さで相手を倒す技の為に修行しているはずです。古来の太極はその逆です。所謂、「四両抜千斤」ですね。人に当たる際の衝撃の少ない状態で相手を動かす武術は本当に簡単ではありません。日本を含む一部のアジアの国では老荘思想の影響で軽い手付きの武術を研究していますが、これは太極同様にあまり簡...
第886話 感覚の状態
- 2018/01/23
- 12:17

老子哲学の「禍兮、福之所倚」を語った後は、私達の当たり前の感覚のことを考えて見ましょう。老子哲学は一般的に人間の世界と神の世界を別にして語ります。宗教の世界は多くの場合が条件つきで来世ら輪廻の為の修行を要求します。そして、今日の社会も同様ではないでしょうか。進学の為の猛勉強、出世の為に下済みはすべての宗教が言っている見返りのようなものです。私は時々、偉い宗教学者に伺っておりますが、天国や極楽世界な...
第885話 禍兮、福之所倚 福兮、禍之所伏
- 2018/01/22
- 09:35

老子哲学の最も素晴らしい箇所の一つです。古代の聖者は実際、順境にも逆境にもほどんどこだわっていないことが読み取れます。一般的な宗教の界隈では、パライソの為に人間は禍を至福のように思うことや、一切の逆境や難を耐え忍び、幾度の輪廻を経ても修練生活が続く者は成仏するなどの条件づけの禍の説が成り立ちます。老子の道教思想はもはや無条件に淡々と禍と福はこの世においては当たり前の存在を語り続けています。言い換え...