第1713話 山とか壁とか
- 2020/04/30
- 09:50

このようなたとえ話は私が幼い頃より伺っておりますね。当時では同門の中では銭超群とか張金貴の2名の先輩はかなりの強さとして知られていますが、当家では今日も存命中の自称巨匠や大師の皆はかつての先輩のことを口にする際では、彼ら二人は山のような感じでまたは、壁のような感じだと言っていますが、実際に、太極拳をどのレベルで練習されているのだろうか、またはどのレベルで練習しているのだろうかと言われれば、まあ、冒...
第1712話 空気の流動と振動
- 2020/04/29
- 11:06

昨日から本日にかけて、ウィーン在住のピアニストでいらっしゃる西山 葵耀古先生との夢のような合成共演をしています。私は亡き父母が音楽家だったこともあって、クラシック音楽が大好きです。先ほどに合成された動画はなんと、西山先生のピアノソナタ第14番嬰ハ短調の名演奏との合成になり、これは私の人生の中でもこれほどに嬉しいことがありません。父は一か月前に他界しましたが、ピアノソナタ第14番嬰ハ短調は父もかなり好き...
第1711話 太極拳の存続
- 2020/04/28
- 12:49

はっきり言って、このご時世では明日の生活がどうすればよいのかとなると、誰だって太極拳どころではありませんね。諸外国は自粛を決めた際に自動的に国民のお金を支給していることを考えると、自粛のレベルも自然とわかってきます。このご時世で、もはや社会主義であろう資本主義であろう、政治家が民の生活をどれほど理解していることと、国の財政で国民への支援が変わります。一部の国は国民がどうであろうかがあまり研究されて...
第1710話 接と結の葛藤
- 2020/04/27
- 15:35

先日も日本語の起承転結とい言葉に触れましたが、これは、近代中国語の中でもあります。そして、はっきりとした出典は見付かっていなくて申し訳ないですが、どうも、近代中国では起承転結が「儒」の言い方で、起承転接は「道」の考え方とも言われております。まあ、日本国では基本的に起承転結という言葉しかないので、外国語として、または「道」や太極の専門用語としての研究はそれなりの価値があろうかと思うます。そもそも、中...
第1709話 十人十不知
- 2020/04/26
- 08:24

このようなテーマだったら、私が七年前にブログをかきはじめの頃ではまた毎日のように沢山のコメントが書かれてしまうのではないかと思います。それもそうでしょうね。一般的に世間では十人九不知と言う言い方でしたら中国本土ならば誰でも一応しているくらいです。まあ、日本国ならば、中国のどこかのしっかりした団体と連携しているのならばきっと、このくらいは教わっていますね。昨今になって、多くの方も私が自分自身のブログ...
第1708話 表演服と太極の変遷
- 2020/04/25
- 11:07

日本国ではそもそも、伝統武術に関しては表演服なんかは基本的に関係ない話しではあります。動きやすくするためにはスポーツウエアや簡単な太極拳練習用のズボンを着用する者が多いですが、私の学生さんの一部では、建築現場用のおズボンで練習する者もいます。いわば、動き易ければなんでもよいですね。逆に、太極がかなり流行った中国清朝の当時では、人々はファッションというよりもいかに丈夫な布で洋服を作るのか、またが一般...
第1707話 双重と忘動
- 2020/04/24
- 10:31

双重、人間の骨格同志が力の伝達しないことを指しますが、巷で流行っている踏み込めば虚実、そうすると「双重」ではないとの考え方は論外にしましょう。忘動、人間は攻撃をしようとする一瞬に自分自身が重心を失うことです。正確に申すと人間は攻撃しようとするとどんな達人でも一瞬の重心の移動があります。太極はこの相手の一瞬の重心移動を利用できる訓練を一番大切にしています。おっとっと、申し遅れたのですが、私の研究会で...
第1706話 体のバランス
- 2020/04/23
- 11:39

今後、いかなるネット上の議論は応じないこととさせていただきます。皆様のコメントは基本的に答えないことになります。質問は、会って、可能な限りお答えします。一定レベルまで「懂勁」すれば私は喜んでお答えいたします。もちろん、この場合はネット上でも公にします。このようなテーマでは多くの方が自然と健康法に連想されるのですが、実際のところではこれが武術の最も不可欠な哲理であり、元々、一種の武術は人体のしっかり...
第1705話 毫厘はいかなるものか
- 2020/04/22
- 11:27

今後、いかなるネット上の議論は応じないこととさせていただきます。皆様のコメントは基本的に答えないことになります。質問は、会って、可能な限りお答えします。一定レベルまで「懂勁」すれば私は喜んでお答えいたします。もちろん、この場合はネット上でも公にします。昨日のブログで「差之毫厘、失之千里」を言及しましたが、私達の日常の練習の中ではどのような違いが「毫厘」といえるのでしょうか。私達のどのような考え方が...
第1704話 意思のという言葉のニュアンス
- 2020/04/21
- 15:26

今後、いかなるネット上の議論は応じないこととさせていただきます。皆様のコメントは基本的に答えないことになります。質問は、会って、可能な限りお答えします。一定レベルまで「懂勁」すれば私は喜んでお答えいたします。もちろん、この場合はネット上でも公にします。意思、日本語では通常、何かをしようとするときの元となる心持ちとしての説明が多く、本人の意思に任せるイメージが強いです。また、日本語では、「意思」は法...