第1835話 套路と盘架
- 2020/09/20
- 08:33

中国武術の専用名詞の套路は、伝統武術の中であまり言わないことで知られています。何故かと言うと、昔から一種の武術であれば、その武術には必ずと言ってもよいくらいに名称があります。例えば、当家の太極拳基本拳は慢架108式と言います。または、人によっては長拳とも言っていますね。逆に、先代の二人が本当の体力がない年寄りの為に製作した太極拳は精簡30式と言います。他に剣も名称があります。剣に関しては、一部のごしき...
第1834話 勢から勁へ
- 2020/09/19
- 11:23

太極、在外為勢、在内為勁。これは数百年の間に不動の真理です。どんなに中国のどこかの奥地に十三勢の套路を見つけたにしても、どんなに秘伝である「八門五歩」の気功が残されている流派においても、太極は勢から勁への訓練であることはどこも非議しないはずです。六大流派の家元の嫡伝者の中で、誰かが自分は筋トレして、力だけで太極を解釈できる者がいるとしたら、私はまず、その嫡伝を疑ってしまいます。昨日はかなり古い時代...
第1833話 状態から技へ
- 2020/09/18
- 12:24

昨日のブログでは、率直に中国武術の内家拳と外家拳のちょっとした違いを個人的な見解で考えてみたのですが、日本武道となると実際に中国武術とどこまで関連性があるのかは、本当に研究不足の私には何も言えません。ただし、実際に現在の研究会で日本武道の先生方が勉強しに来られていて、多くの古伝日本武道はどちらかというと中国の内家拳に似ているところがあって、出来るだけ内面的な修行をされていることは確かです。もちろん...
第1832話 技と状態の違い
- 2020/09/17
- 12:32

私は基本的に誰かより、お宅の理論を参考にさせていると聞くと、なんとなく違和感を感じます。最近は、日本人の日本語文学者の方と何度も日本語の難しい表現について勉強を重ねており、日本語はどうも、曖昧な表現の一種として、または付和雷同的な社会の産物として、参考という表現は普通に使っています。これはまた、日中両国のいずれの言語の中には「参考」という表現があり、これは間違いなく、参考という言葉は日本語に中国語...
第1831話 武術は人の見解
- 2020/09/16
- 11:43

1980年代の中国政府の正式な統計によると、中国武術の流派はかなり多く、およそ3000種類あるのではないかとも言われていますね。もちろん、あの年代は中国も流石に改革開放ははじまったばっかりだったので、国全体はまだ文化革命の悪影響が残されており、何事も適当に行われていることは避けられなかったと思いますね。古代中国四大発明は中国のものとして知られていますが、中国という国において沢山の武術に対する見解が生まれて...
第1830話 拳無拳、意無意
- 2020/09/15
- 13:33

これは別に太極だけの言い方ではありません。中国武術では一定レベルまで熟練した人間が一式ごとの境界線ははっきりと分からなくなり、または、武術の機能的な速度が一定レベルに達してれば、自然とはっきりとした一式ごとの動作が分からなくなります。まあ、近代の映画技術では一つの動作を早回しして、一つの動作がはっきりと分からなくなることも多々あります。1980年代に第ブームした中国映画少林寺の中でも一部の激しい動作は...
第1829話 先生という呼び方
- 2020/09/14
- 11:31

敬愛する写真家の方はネットで自分のことを先生とのチャンネルの名前で誰かに批判され、ご謙遜な写真家の先生は直ちにご自分のネットで使っている名前を変えました。先生の前にあるお名前は、若者がそのご年配の先生に親しみを込めての愛称です、何々たん先生、これなら自分が先生と名乗る部類には普通は入らないと思いますが、まあ、先生の文字は無くなりましたね。これは、ご謙遜な写真家の先生の判断です。私はそれを尊重いたし...
第1828話 もっと、短いブログを続ける
- 2020/09/13
- 08:43

皆様、大変お待たせいたしました。そして、お久し振りです。毎日のようにブログを書き続けている沈 剛はとうとう、左薬指の自由が手術で制限されたことでブログを中断させていただきました。もちろん、ブログを中止している間でも色々と今後のブログはどのように続けることを研究していました。ブログをやめることも考えていました。理由は私のブログは多く方があまり理解できないことが判明しています。がしかし、日本という国は...