第1005話 五体不全
- 2018/05/22
- 03:25

複数の医者の方との交流の中で知ったことですが、人間は部分的な機能が失われていることで他の機能がより敏感になります。全盲の方は耳がしっかり聞こえることが多いですし、聞こえない方は視力がかなり良いこともよく伺い、聾唖の方は手の感覚が非常に鋭いことも検証されています。
昨日のレッスンでは、複数の方より私が普段に与えている注意点の一つでも実行したら他の注意点が疎かにになることを告げられました。これで、私も安心しています。太極の訓練は体の色々な部分の緩みのバランスと内面的な調和を目的にしています。当然、太極は体に一定の制限の下での動作を続くことになりますので、練習するとなんだかの違和感があります。例えば、太極は普段の人類の動きとまったく異なる動き、または普段使われていない筋肉が使われている感覚がします。

そして、昨日のレッスンでは更に一人の会員さんよりこのような考えで本当に感動いたしました。「里黏肘」の時にあまりの慣れていない動作を練習したところでしばらく続いたところ、推手動作がなんとか形になって、私は嬉しくなって褒めて差し上げたところご本人は、何も考えずにしたら出来たとさらっと言っていました。
呉式太極拳は今日の中国においても、あまり発勁がなく、年寄りの健康太極拳であるとの見解が一般的ですが、私が五大流派の方との交流の中でも多くの方は呉式にあまり理解出来ないこともしばしありました。でも、私が他派の方に少し呉式の真似をさせたところ、皆が異口同音で大変難しいと言うようになりました。私の直感ですが、太極は、人類本来の動きとまったく異なる動きの練習になります。
太極は、ある意味では五体不能に近い設定をしています。年寄りや体の弱い方、爆発力が小さい女性の方も使える武術ならば、いつもの真っ向勝負的な武術と絶対的に異なるスタイルになります。
そして、人間が健康から離れやすいことと、長生きを得るには、普段の一般的な生活様式と異なるものでもあるはずです。
タオイズムの矛盾論は従来、何かを得る為には、同時に何かのリスクを背負うようになります。細く長く体を動いていくことが人間としてのベストの養生法になります。
本日は、1950年代の中国の著名盲人胡弓演奏者の自作自演を紹介します。
[二泉映月] 作曲、胡弓演奏:阿炳
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