第1012話 こん畜生と思う暇があれば
- 2018/05/29
- 11:27

昨日も弟子の者と少しだけ立ち話をしたところ、一人の人間は五、六件の事件を同時に抱えていると思わぬ「こん畜生」を口にしても仕方がないと、一応の交通認識しました。まあ、人間はこうなるとどうしても事件を作ってくれた人間に対する不満、その無責任に対する弾劾をしたくなる気持ちが先行するようになります。
しかし、タオイズム的な考えでは、人がこん畜生で体を占領した時に、これほどに体への被害がないです。これはこのタオイズムをかなり長い期間に勉強していた者は知らないわけがありませんが、事件が立て続きで自分自身の体が知らぬ間に蝕まれていることは恥です。これは、自身の未熟として反省、生涯養成としての人間力の訓練の糾明が不可欠だと感じました。
営業現役の頃、周りでは「こん畜生」を居酒屋で叫ぶと言う暗黙のルールがありました。まあ、職場で「こん畜生」が飛び回っていたら仕事になりませんよ。実際、あの頃はけっこう、居酒屋に貢ぎましたね。若者はお酒を飲んで、声を出して、「こん畜生」でもなんでも言えば、気持ちはたちまちスッキリしますね。まあ、本当にあの頃は若かったです。

麻酔感覚でしばらく脳の記憶を消すことは、私が社会福祉専門の勉強の頃にすでに知っていました。そして、医学的に考えると人間は生涯に飲めるお酒の量は決まっているそうですね。太極を長く訓練している者として、我々は自身の体の僅かな変化をも感じるようになり、お酒が体にあまり良くないことも自身の体が訴えてくるはずです。ならば、お酒を飲まない人間や控えめに飲む人間が複数の事件に挟まれた時の振る舞いは研究しておくべきだと、私はこの年になって感じるようになりました。
なんと言う幸いなことなのでしょうか。これについては私の周りに多くの方が私にお手本を見せてくださいました。「こん畜生」を叫んでも、問題解決はしません。「こん畜生」を叫んでいるとか、色々と考えてしまう暇があれば、いちはやく問題解決をする仕事様式ならば、「こん畜生」の悪の元が消えれば、我々は自然と体も脳もスッキリします。
皆様で試してみましょう。私も努力してこのような「仕事様式」を覚えるようにします。
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