第1097話 人間力再考
- 2018/08/22
- 11:29

日本中にアジア大会の日本男子バスケット4選手の買春事件で揺れています。もちろん、資本主義の高度な発展で人間力がかける事件は日本国のみではないはずですが、人間力の低下はさまざまな原因がかんがえられるのですが、個人的には資本主義の自己中心的な生き方と、金銭万能がもたらす適当な人情が最も大きな原因ではないかと思います。
このように、人間は自分自身の欲望や物質への様々な貪欲は、資本主義の進化と共に信じられない程に上がってきます。逆に、私の幼い頃の社会主義制度下では、国民がかなり限られている娯楽しかなかったので、人々は欲望への貪欲はかなり抑えられていました。そこで、1980年代の初頭からはじまった中国の改革開放は本当に人々の欲望に火を付けてしまったと言っても過言ではないですね。日本国では1980年代より以前の歳月に中国以外の外来文化も日本国に上陸していますが、文化という形がはっきり現れない分野では逆に正解が決まっていなくて、更に免許制度ではなければ、更なる無法地帯状態は必至です。
文化や娯楽は基本的に形が定まっているわけではなく、科学や医学程のしっかりした定義付けでもないので、文化的な信憑性は太古の昔から複雑な人間関係を作ってしまいますが、逆に、揺るがせない文化の起点はいつものように様々な試練を受けるのも中々避けられません。これは、人々が娯楽の変化を常に求めてしまう貪欲と、人々の貪欲に合わせた異端とも言える改ざんされた文化と名乗っている数々の組織で構築される近代社会資本主義自由商売の洗練を受けていることだと感じています。
日本国の歌舞伎や能、中国の京劇や色々な地方劇は今日になってあまり人気がないですね。日本ではアマチュアの方々が趣味で能楽を楽しんでも大きな連盟を作って脳の専門家と対抗することがありません。中国の朝の公園でお爺様が声高らかに京劇を歌っていて、中には仲間を集めてお小遣いを稼いでいる方もいると思いますが、その方々がいい気になって、連盟を立ち上げて大儲けはしないですね。
ところで、中国武術という分野では、映画やドラマの宣伝もあって、長い間の五輪進出企画もあって、本当に複数の分野に分かれてもおかしくないですが、今日の複数の中国トップ制定選手が定年後は伝統武術の巨匠に弟子入りをするケースがかなり増えています。これは、一つの文化の原点を探し求める人間力の現れだと思いますね。特に、武術は人間の体の感覚と脳の感覚の判断と、一人の人間の生涯学習から得る人間力による判断が不可欠です。
どのような行動が自身と背負っている国に責任が取れるのでしょうか。どのように自身が偽りの教えから遠ざかるのか、どのように自身の人生を周りの人々にとってプラスになるのかの学習は人間力だと思います。
日本国のインタネットでは色々な分野で分けがわからない議論が起きています。私見ですが、相手が専門家であれば、遠慮すべきでしょう。先般の夏休みで知人の日本人文学者や音楽家、作曲家の方々と会食をして、交流を深めたのですが、日本の大先生の皆も人間力の大切さを語っていました。声楽家の先生の話では、民間の合唱団員がプロに面と面向かって音楽専門知識の議論を引っ掛けられたことで誰もが唖然としていたようです。
中国太極門のトップ人物にも中国と日本の民間人が何度も同格の話し方で議論をされたと伺いました。これは人間力の低下としか言えません。
歌舞伎を愛する方の誰も坂東家の大先生に偉そうに専門知識を議論しないはずです。これは、基本的な人間力だと思います。


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