第1103話 置之死地而後生
- 2018/08/28
- 11:52

本日は孫子の《九地》の言葉です。
自身を死の位置に置けば、戦場では人に勝てると言っています。
古代の戦争では今日のような先進武器がなく、兵士も将軍も刃物を手にして力と技で戦っていたことは、日本国民が世界のどの国よりも知っているはずです。
ところで、古代の人間はどの国においてもあまり長生きしなかったことがあって、色々な分野ではこれの研究を続けているようです。医学の遅れ、栄養の遅れ、過労など色々な原因が考えられますが、古代の軍人はあまりにも命をかけて毎日のように死ぬ気で武術をれんしゅうしていたことが人間の体にかなりのダメージを与えることで、今日ほどの平均寿命が得られなかったのではないかと思っております。
当然、強くなるためには死ぬ気で修行をすることは私も理解しております。強くなるには、自身の体の色々な要素を維持する為には練習が不可欠です。もちろん、どのように戦う方式によって、体の作り方も異なりますが、いかなる武術も戦闘力を維持するには誰もが懸命です。ほとんど練習しない人と間違った理論で練習しても強くなることがありません。
そして、太極ですが、健康にしても武術にしてもやることはあまり変わらないです。私の流派も変わらぬの訓練を続けている者が強さを手に入れて参りました。そして、太極門の考えでは、訓練がいつも力む寸前まで把握出来る者が太極勁の習得が一番速いです。
しかし、人類の体の感覚の鈍さは私が十三勢内勁を何とかなったところではじめて知りました。自身があまり力んでいないと判断しても実際のところはやはり力んでいる場合がかなり多いです。89年に来日しては日本語やその他の科目の勉強もあって、当時、私もまだ太極拳を職業とする決心がついていないので、推手の練習もやっていなかったのですね。93年に休暇の帰国まではかなりの太極拳の練習を続けていました。私はかなり力んでいない感覚でギリギリの練習を続けていたにもかかわらず、先代の二人に見せていたらやはり無理して動いた動作もかなりありました。
人間は、自分自身が力んでいるかいないかの判断は相対的な者になります。じしんよりもレベルが高い太極拳家が側にいれば理想です。これからも会員の皆様に私が理解出来る体が力むギリギリの感覚を伝えて参ります。
もちろん、堂々と言えますが、からだがギリギリに力まない状態での訓練は我々の健康と長生きの保証であります。


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