第1128話 「臭皮囊」と言う例え
- 2018/09/22
- 08:20

「臭皮囊」は中国語の仏教用語です。人間の体はただの匂っている革製の包みに過ぎないと、仏教の教えでは人間は早く自信の肉体から霊魂が離脱し成仏すべきだと主張して参りました。そして、仏教の信心深い信者は死を喜びとして受け入れていると伺っています。
孫式太極拳創始者の禄堂公は半年も前に自身の死を予言していました。そして、禄堂公はこの世を去る日も普通に朝早く起きて、いつもと変わらなく太極拳の練習をされたと伺っております。ご自分で自分の為の祭壇を作り、最後は南向きにして座って去って行かれたとも伺っています。禄堂公は何度も公に、死とは楽しい旅立ちであることを周りの人達に話していましたし、人間の霊魂は肉体と一緒に存在している状態が所詮とりあえずの形であり、人間の体を何もせずにしては本当に虚しい存在になってしまうこともほのめかしていました。
当家二代の鑑泉も自身の死を予言し、最後は普通に座ったまま去ってしまったと呉英華先生より伺っております。
ここまではなんとなく仏教を宣伝しているような文書になりますね。当然、このわたくしは仏教よりもタオイズムのことをもっと研究しており、私が感じているタオイズムは宗教よりも自然科学と社会学の総合的な学問であります。
キリスト教では肉体が人間の仮住まいであると主張する一方、世界的に組織の管理の杜撰さで多くの人がその肉体に傷付き、本当に弱い存在である肉体にまるで泣き面に蜂のように多くの信者が心身ともかなりの圧力を受けていると伺ったことがあります。まあ、その時に宗教学者はいつも、この世の試練は天国での席のためのものだと片付けてしまうケースも多いようです。
このように、考え方によって、私達は自身の体とどのようにお付き合いすべきだろうかと、それはかなり別れてしまいますね。
「臭皮囊」という存在はおそらく誰もが避けられません。そもそも、動物の肉体はそんなに高度に進んでいるものとは思えません。人間はもうかなりよい方だと思います。猫はどう頑張っても20年くらいですね。猫は人間よりも先に去っていくと人間も当然のように悲しむことは本日の議題ではないので言及しないことにしますが、猫や犬よりは数倍も長生きできる我々の肉体自体がどれほどに強いのかは、私が説明しなくても皆様がきっと色々と実感されているはずです。
私は魂の存在を証明することができませんし、証明する意気込みもありません。私が最も関心しているのは、生きている限り体は常に最低限度の能力が維持出来ることであります。もちろん、この目標はおそらく、多くの方が仰っている健康よりもかなりレベルの低い状態であります。
逆に、タオイズムの考え方では、人間のからだはいつになっても完璧になる時はありません。私が会員の皆に毎日のように太極拳の練習を勧めているのもこれが原因です。毎日が完璧ではない体は毎日のように修正するしかありません。
あまり高い目標の設定をしていないので、毎日の修正でなんとかなります。逆説から申しますと、自身の体を神様と同じように設定してしまえば、当然のようにいくら努力してもその目標には到達できません。
「臭皮囊」という言葉は我々の体の能力を正直に表しているかもしれませんね。


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