第1131話 すべての瞬間
- 2018/09/25
- 11:10

太極訓練のすべての瞬間に進退顧眄定と四正四偶の基本を間違いなく、その基本動作を一定レベルの完成度を保つには相当の大変な作業になります。体が柔軟で記憶もよく、我々大人よりも動作のパターン化ができにくいことで私は今後、出来る限り若い選手に太極拳の慢架を勧め、要求を少々高めに設定していくつもりです。
とは言え、私は性格からすると先代呉鑑泉のように鬼になって、自身の孫の全員に嫌われるような厳しさは有り得ないです。私自身も呉鑑泉と面識がなく、鑑泉公や実際に幼い子供に対してどれほどの厳しさで接していたのも不可知です。一応、呉鑑泉は年齢に応じて、その人の身体能力に応じての教えは今日の私も試しております。
実際、太極の動作のすべての瞬間の一つひとつが太極の基本にあっていなければ、内面的な動きに連動することもかなり困難になります。一般的に申すと、子供に対しては基本的に私はその一つ一つの動作の幅を大きくお願いしておりますし、全体の姿勢も低い状態の継続が理想です。稀に大人の初心者の方も頑張って子供のような姿勢で練習している方もいますが、どこかで進退顧眄定の崩れや体が四正四偶に馴染ませないことでその太極拳もほぼ意味がないものになります。もちろん、稀に一定の年齢でかなり若者のように太極ができる人もいますが、そこで体がかなり力んだり呼吸を止めたりして、それが長く続くと一種の偏差まで発展してしまうこともあります。太極は徐々に動きの完成に無理なく近付く正確な学び方ではなければ、決して内面的な実りを得ることは不可能です。
ところで、私がいつものように申し上げているのは他ではなく、今日のわけがわからない沢山の名前も聴いたことのない伝統太極拳流派は実際にどのように太極を解釈しているかのことです。今日では、中国太極拳の五大流派のどこも本流があって、その横にはすぐに支流がある状態はもうまったく珍しくないです。中には、本流の組織でも動きがかなりゆるくなってしまい、支流では人によって、太極の形が大きく異なります。支流同士も人間関係がねじれ互いに知らないと言っている者が多いです。まあ、こうなれば、支流が本流の存在を知らないと言っても本当に仕方がないと思います。
世の中ではお客様と人間関係ができていれば、資本主義では免許のせいげんがない限り商売は成り立ち、周りは何も文句を言う筋合いではありませんが、太極拳の動作の中に多くの瞬間が太極原理に合っていない状態であれば、お客様はきっと、心身とも崩れます。自身の体になにかの異変が起きるのであれば、どうぞ、疑問に思ってくださいね。私達の人生が一回しかありません。自身のからだに申し訳ないことはやめましょう。


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