第1135話 筋肉と太極
- 2018/09/29
- 12:49

太極は基本的にできる限り筋肉を使わないようにしますが、本日の練習が終了したのち、大人も子供も足が中々曲がらなくなり、筋肉がかなりパンパンに張っていましたね。でもわたくしはというと別に大したことをあまりしていないようであまり疲れてもいません。まあ、55歳ですけどね。
常に伝統太極拳を妥協せずにしてやっていたら、このように私は現在、硬いところと柔らかいところの差がほとんどありません。体が自身のいかなる抵抗があっても、自身の抵抗は自身の体のほかの部分で分散できるようになれば、いかなる難しい動きも体の一箇所だけという単位で動かないので、一つの体全体での対応で筋力がほとんど必要がありません。もちろん、この状態では筋力がなくなるのではなく、逆に柔らかい筋肉によって私達のすべての動きがもっとスムーズになり、全身の筋力が一点に集中して使えるようになります。これはつまり、発勁ですね。
昨今、一部の人間は四正推手の基本形もほとんどできなくて、正確さもかなり欠けている状態でも力を使って人に懸命に押して、そしてなんと、これを発勁だと自称しているようですが、まあ、このような無知な考えはさておき、体を正しく使えていない限りでは、どうしても体の一部分を使って人に向かっていくのならば、太極とまったく無関係の動きになるのは間違いないでしょう。本日も推手のレッスンでほとんど力を使わずにし、動きもほとんどない状態の中で僅かに浮かすことを少しやってみましたが、自分自身の強さを見せたのではなく、そこはできるならばこのように体を少しでも無理がかかっていない状態での動作へのアピールであります。太極を学ぶ者も一定の説得力が必要ですが、常に全力でぶつかる人間に対してはあまり本気で太極勁を使う気になりませんね。当然、その方々は謙虚に学ばないため太極の真意を知る余地がないし、彼らも勝っていくことしか考えないですので、教える人間としてもかなり辛く、こちらとしてもいつかは自然に去っていくことを待つことしかありません。幸いに今日の研究会や北海道中国武術倶楽部ではこのような人間は一人もいません。本当に助かりましたね。
太極を学ぶには、一つの動作よりも一種の状態です。だが当然<一種の状態が形成するには、理屈に合った動きを繰り返すしかありません。当然、週1回や月に2回だけの練習では意味がないですし、毎日のように練習をしても結果的に動作の正確度が低ければ、状態への発展も中々望めないものであります。
当然、太極内面状態を得ていない者は正しい動きで頑張ったならば、体は一定のきつさが残ります。当然のように徐々に体の緩みが徐々に統合されれば、きつさも徐々に軽減します。緩みも緊張と通り抜ける結果であり、体の緩みは決して空想家がデスクの前で描く物ではありません。緩みの統合は人間の基本的なパターンを引っ繰り返す程の勇気と固定観念の打破が必要です。太極勁は近代社会で自身が練習している太極を疑う必要もあります。近代社会では本物がかなり少ないからです。


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