第1159話 末端
- 2018/10/23
- 02:44

これで本来の記事に戻られると思うとなんとなくの安堵感があります。わたくしはかつてでは日本の一流企業で営業マンを経験しておりますが、かなり長い間にげんばから離れていることもあって、今日の私はもはや、営業を非常に苦手にしています。しかし、わたくしが提案した支部ですので、なんだか懸命にブログを描いて営業した充実感がありましたね。
本日のテーマでもうしあげている「末端」は、我々の体の中心的な存在である部分から離れた存在のことであります。人間の機能的な中心は通常、腰椎になりますが、その末端は我々の両手の指先と両足の踵になります。太極拳の練習は人間の腰椎がまず、いかに自由になれるのか大切です。わかりやすく言えば腰椎が死んでいる状態ならば、「末端」への伝達も有り得ないですね。
宋遠橋心会論で申し上げている「第一の主宰」である腰椎がいかにして生きていると言えるのだろうかとの問題は、本日のテーマを語るには不可欠です。まあ、骨盤と腰椎の区別もつかない人やお腹に力を入れれば「気沈丹田」だと解釈する人は、腰椎がいかに生きることは決して理解出来るまい。
タオイズム太極が申し上げている主宰的な存在である腰椎は、周りの筋肉がかなり緩んでいる状態と、それが常に反射のような回転や伸びが出来ることになります。人間の関節は常に無理のない状態での自由な動きによって本格的に緩むことができますが、腰椎の自由も同様です。人間はその「先天」に任せていけば、身体の回転は骨盤がメインです。当然、腰椎と腰椎は徐々に石灰化し回転や伸びがまったく出来ないならば、太極の動きも当然無理でしょう。
腰椎が生きていて、体が「進退顧眄定、四正四偶」を徐々に守れるようにして、「進退顧眄定、四正四偶」動作が体にもたらす緊張から徐々に解放されれば、腰椎の動きも自然に指先と両足の踵に伝わります。
このように当研究会は、いかにして正しい外的な動作で人体の内面的な十三勢が自然に備わるようになる研究を続けております。


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