第1161話 内勁の段階
- 2018/10/25
- 11:16

自身が設定したテーマが矛盾していることはおそらく今回がはじめてではないかと思います。というよりも、太極は元々、矛盾論の塊であることは中国国内であれば一般的に知られていたと認識しておりますが、逆に今日の中国は社会全体において過労が進み、人々はもうゆっくりと人生や社会の構造を考えたりする余裕がなくなって来たことは明らかです。これは、日本国も高度成長期あたりはおそらく経験してきたことかと思います。
本当に社会全体の景気と個人の気持ちで人間の考え方が変わると言っても過言ではありません。今日の世界では一言「内勁」と言っても色々と異なる解釈があり、その種類はもしかして、解釈する人の数よりも多いではないかとも中国太極門の五代流派の中でも囁かれています。まあ、通常は一人で一つの解釈ならば妥当でしょうが、今日のネット武術家の人は時折、数ヶ月経ったところで自身が樹立した理論を簡単にひっくり返しておいて、まったく異なる考え方が簡単にネットアップされていることが非常に多いです。私の考えを申し上げますと、内勁は決して、どうやって相手に当たる一発をパワーフルにすることとは異なります。特に、太極拳が言っている内勁ですね。
はっきり申しますと、太極拳内は基本的に無段階です。もう少しわかりやすく申すと太極拳の内勁は決して一つの段階に留まることが有り得ないです。私達の体が毎日のように天候に影響され、その日その日の仕事の辛さの度合や受けた圧力の度合によって自身の体の状態は毎日のように異なってきます。太極を生きる者は毎日のように何度も基本太極拳を練習することはこれが原因です。これは一種の自身の体の補正と内勁の補正になっております。とは言え、一人の人間は太極内勁に辿り着くのはあまりかんたんではありません。どんなに速い人でも十数年間はかかると思います。
もう少し大衆的に説明しますと、両腕だけに力を入れて人に攻撃をすれば自身の重心が両肩に集まり、頭が重くて足が軽くなります。当然、格闘技の素人しかこのようなことはしません。
体全体に力を入れて人に向かっていく人もいますが、全身に力を込めることによって体全体の動きが硬直して、この場合はからだのどこかを軽く突付くだけで簡単に動かせると思います。まあ、縦に置かれている一本の棒と同じ状態だからです。
出来るだけ体をリラックスさせて、相手の一瞬の隙を素早く捉える方ははっきり言って、太極の内勁に近いです。これは一種の相手の動きを待ってからの省エネ的な戦いになります。
太極の内勁ならば、基本的に力の伝達からはじまります。力がいかに筋肉から筋肉への伝達から、細胞から細胞へとの細かい力の伝達に少しでも近付けば、人間の体の中に自然と流れるような内勁が出来てきます。お陰様で、色々な教室で多くの方がわたくしの独特な内面的な動きを確認できるようになりました。太極の内勁は筋肉から筋肉への力の伝達の練習からスタートしなければなりません。ですので、初心者が体を動かないで内勁が得られることは、理屈上ではありえないです。
もっと、科学的に太極内勁の訓練をするために、これからも皆様と共に練習して参ります。


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