第1167話 夢の中の夢
- 2018/10/31
- 10:41

人は、人にとって夢を見るか見ないかではっきりと分かれているそうですが、私ははっきりと見るほうです。最近は電車の中でも座れれば、隣の人に迷惑をかけないようにして寝ています。まあ、電車の中で夢を見る時もあります。
若い頃と比べれば、夢が大分減ったのを確認したのが40過ぎのころでした。どちらかというとあっという間に意識がない眠りに着いてしまうことが増えたのです。これはタオイズムの考えでは、その人間はかなり疲れが来ていることになります。私は自身の衰弱を確認したところ、太極の練習を一層に力を込めました。あの頃の努力で40歳後半あたりで私はまた夢を見るようになりました。まあ、健康を取り戻したという実感がありました。
ところで、昨年の春に健康の理由で私の研究会を退会された某大手制定太極拳クラブの制定の先生は先日、ご逝去されました。私のこの年齢になると当然、お葬式が急に増えるのは仕方がないことですが、人を送ることで自身もその日が来ることへと連想してしまう際の不安はまた、人によって様々であり、人としての去った後の不安はその人の人生観と世界観そのものにかかっていると私は思います。
この私は当然、万が一、家族に先に去ってしまえば、家族の生活はどうでしょうか。私が去った後に研究会はどうでしょうか。研究会においては基本的に私一人が教えていることもあって、結果を申すと変わりの人間がいないとのこともあって、この国で呉式太極拳を展開していくことは難しいでしょうと、そして、呉式太極拳も今日になって、中国の凄まじい経済発展も手伝って、中国の武術離れもあってか、鑑泉社のトップも多くの呉式太極拳の内容を忘れ始めています。
こう考えると、私に課せられている任務はなんとか元気で少しでも長生きをすることしかありません。しかし、人の命は人間が測るものではないと認識しています。私はどこの神が本物であることにはまったく関心がなく、神は私達の命を養ってくれている自然との解釈は近代人には一番わかりやすいと考えております。
人間は少しでも自然体になっていれば、自然と長生きができると信じております。
人は寝た後に見る夢は生理現象ですが、人はあまり非現実的なことに期待を寄せていることも日本語では夢を見ると言いますね。夢を持ちなさい、夢は持った方がよいと、日本では後者の夢を見ることに関してはプラス的でもマイナス的でも解釈ができますが、逆に中国では「夢を見る」ことはほとんどマイナス的な解釈しかありません。
私は、日本に滞在するようになって、夢が持てるようになったと言っても過言ではありません。
そして、今日の私の夢の中の夢は、私がいつかこの世を去った後でも、呉式太極拳の秘伝が少しでも世に残されることです。その為に、健康維持に尽力して参ります。


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