第1188話 八万里という禅意
- 2018/11/21
- 11:09

中東の国々が七という数字を沢山を表すかのように、中国と言う国も一つの数字が一種の意味を表すことが沢山あります。一年のことを365里路と言ったり、かなり長い道のりのことを800里と言う習慣がありましたね。中華人民共和国の最初の主席は自身の詩で、大地が一日の間に八万里(四万キロ)も動いたと禅の境地を見せていました。
この百万里は今日の正確な科学的な計算によれば丁度、地球の一周の距離になっています。人が何もせずにしてただじーとしているだけで、我々は地球の回転に連れられて四万キロを走る様になります。
けれど、我々は毎日のように懸命に体を動かし、誰が地球が回転していることを感じたのでしょうか。当時の中華人民共和国初代主席は、長い戦争を終えてじーとしている時間がいくらでもあったはずです。そうすると、このように、人間が動いていなくても地球の自転によって我々が毎日のように動かされているという「禅意」を感じると思います。
「禅」の世界では、不動と動の哲学と言っても過言ではありません。逆に、太極の求めている境地は最少限度の力で体を動かすことです。太極の上級者はほとんど力を使わない状況で歩行できます。
私もかつて、体のどこも出来る限り静止状態で過ごすことで自身が宇宙に動かされていることを体験する為に、とある「座禅」の教室を申し込み、座禅に望んだところ、正座ができないこともあって先方が私の参加を丁重に断りました。まあ、畳の上で私が痙攣すれば、本当に他の座禅の方には大迷惑ですよね。
実際、何も正座をしなくても禅の境地に入ることができます。一日中、本当にゆっくり歩行して、美しい風景を写真にして、一日中に何も考えなければ、「禅」の境地にあずかることができます。まあ、雑念が出れば、太極拳の練習をしますと、「禅」は必ず正座ではなくてもいけます。


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