第1189話 意念の憂い
- 2018/11/22
- 10:53

鑑泉社直系の先生が現在、海外で太極を教えているのが大分減りましたね。3年前に叔父馬江豹が他界したことで最近ではヨーロッパの学生が弟子らもなんだかの形で私に問い合わせがきますし。鑑泉社の関係ない方も私の日本語のブログをなんだかの形で読んでいるようで、時折、外国語でコメントもしてきますね。それなりのご質問はよいですが、適当にネットで見かけた色々な素人同前の見解に惑わされて何でも私に聞くのは、当方の時間が本当に馬鹿馬鹿しいです。
もちろん、世界の国々から来たご質問の一番多いのが、「意」をどのように使うことです。そして、私は脳を空っぽにすべきだと申すとほぼ国を問わずに、私は保守で秘伝を隠していると不満。まあ、脳で体をコントロールすべきかどうかは世界範囲で議論が広がっています。その大半は脳の意念をどのようにして、体のどの部分にかけるべきかですが、脳が空っぽであるべきと答える人間は本当に少数だと思います。
今日に至るまで、私は色々な形で何故、脳の意念で体をコントロールしてはならないことを懸命に説明して参りましたが、この考えが世界の中でも少数派であり、今日の世界では太極門に対する敬意もかなり薄れていて、太極門継承の太極拳が自由経済によってその権威的な存在も大分揺るがされています。中国国内では太極門の伝承者ならば民間のネット発言を気にする必要がないですし、数え切れない太極拳教室と競り合う必要もありません。海外では3ヶ月しか太極拳教室に通っていない人が堂々と数十年も太極門の中で学んで来た者競り合うをしています。故に、私は呉式太極拳の先代二人の考えを懸命に説明します。流石に疲れますね。
だが、研究会を続くには、説明するしかありません。人間の体は、脳の意念だけで緩めるのならば、意念だけで体内に気が生まれるのならば、人間は立っているだけで気が生まれるのならば、誰でも簡単に気を得ることになります。今日の世界では一日だけの講習会で気が得られると説明している人がかなりいますが、わたくしは一筋の太極を練習し続けて40数年が経った今でもまだ完全に気を自由に使うことができません。
人間は、体の緩みを得ていなければ、決して気の正しい運動を手に入れることができません。如何なる脳の想像による緩みも真の緩みではありません。逆に気を行ってはならないところに詰まらせてしまう危険が高くなります。体の緩みを得るには数十年の訓練を経て、更に継続していかなれば無理です。内面の動きが完全にできていれば、はじめて立っているか座っているだけの練功ができるようになります。くれぐれも本末転倒にならないようにしましょう。


スポンサーサイト