第1194話 神手、鬼手、聖手
- 2018/11/27
- 12:16

ネットでかつての太極拳家のことをいかにも神秘的に描かれていますが、パソコン画面を見て、頭に中で達人になったにしても実質、自身の体にはなんと変化も起きていない話になります。昔、ネットが存在していない中国においても、今のように色々と昔の太極拳家の伝説が伝わっていましたね。特に、エアコンの普及率がかなり低い頃は、真夏の夜では家の外で簡易ベッドを設置してゆっくりと近所の人々と会話しながらの楽しい時間を過ごす時では色々な話題が出てきますが、中でも武術や気功の話がかなり多かったです。
日本語では、納涼という言葉があり、これは何も学習していない中国人でも普通に通じますし、逆に、最近の中国では日本語のまま、「納涼」という言葉を使うようになりましたね。
ところで、当時に夏の気功の集まりは納涼会、冬の気功会はお茶会と私が感じておりました。気功の巨匠である馬岳梁の門下とのことでかなり色々な納涼会やお茶会に誘われていました。まあ、今日ではこのようなお茶会は大分減りましたね。ネットで相手の顔を見て、電話会議をすればもっと簡単からです。実際、中国では気功の伝授も気の伝授も、ネットで気を送ることも実現したそうですが…
当時のお茶会では私の参加で多く先生ががっかりしていました。馬岳梁も私も、来る日も来る日も練習しているからです。だって、当時の気功の先生の皆はもう極めたので、練習する必要がまったくなくなったそうです。当時の私は時代遅れとも言われていました。まあ、毎日のように体を動かして、気を鍛えることは経済効果が確かに悪いですね。
30数年経った今日、インターネットでは奇しくも、馬岳梁は神手や鬼手、誰々が聖手とか、かつての誰々が本当に達人だったとか…そして、太極門を継承されている者共はなんと、自分達の先代の太極勁レベルまでは到底無理だと一早く断念してしまい、事実、このような行動は色々な太極五代流派から分離した支流や武術詐欺者の乱立を手伝ったことの他に何もありませんね。これは、私は勇気を振り絞って太極門に直訴しました。
健康になりたい、達人になりたいならば、練習してください。きちんとした人間の指導をいつまでも仰いでください。武術の進歩も、健康の維持も常に自身の異なる状態を把握できることが前提です。太極の上級者の手助けはいつになっても必要です。私は師が98歳の事故死をかなり落ち込みました。自分自身は当時、既に一定レベル迄来たと師匠は判断したのですが、それでも、師の指導がない自身での研究はかなり大変です。それは今日も変わらないですね。
おかげさまで、現在の研究会会員のほぼ全員は私の太極拳に対する説明を聴いてくださいます。実際、聞き入れてくださって、実際の練習で体が忠実に動けないことや、練習の際に懸命に動作をつくることで私が申したことが出来ないケースと、最初からまったく聞いていないケースの区別は、このわたくしならば簡単にわかります。幸いなことに私の研究会は現在、素晴らしい方々が集まっていますね。
どなたでも、聖手になれますよ。時間をかけて練習してください。


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