第120話 推手感覚
- 2015/12/19
- 23:16

人は誰でも若き青春時代のことを思い出します。私も例外ではありませんね。青春の一ページは何歳になっても思い出せばワクワク、ドキドキするものです。でも、武人の私の青春時代は厳しい練習による修行が続き、苦難の生活を脱出する為の来日もこの国に一定レベルまで慣れることは時間がかかってしまいました。まあ、遊んでいる暇はありませんでしたね。
私が上海在住の頃の太極拳練習は今日になってもかなりの頻度で思い出しています。特に呉式太極拳研究会を立ち上げて二年半が過ぎた今日では、学生や弟子のレベルがかなりあがり、かつての呉英華先生の教室の方々のレベルに肉薄できる程に上がってきましたね。勿論、かつての教室はご年配の方が中心で十数年練習しても、今日の日本の教室の皆様の二年間とあまり変わりがないようですね。そして、私が切に感じているのは、日本人は本当に真面目に頑張る方が多く、短期間で太極拳を覚える方は稀ではありません。この二年半で少なくとも中国の一般の太極拳教室の倍以上の進歩が見られたことは、私が誰よりも発言する権利を持っています。日本国民は正しい指導であれば世界のどの国民よりも太極拳を速く覚えられるはずです。
ところで、私が一番思い出す練習風景はおそらく、私が若い頃に呉英華先生、馬岳梁先生の家族と一緒に練習していた数年間です。当然、かなり高いレベルの練習になります。私が馬家の練習に参加した頃は若い女の子でさえ推手でいとも簡単に、ほとんど触っただけで私を片付けていましたね。まあ、私も悔しい日々が続いていましたが、何とか歯を食いしばって頑張っていたら、約半年後は若い衆と力勝負したり、噛んだりして少しは勝負できるようになってきました。まあ、その時の興奮は半端ではありませんでしたね。勿論、半年だけでいつものように公園に行って色々な民間の方と推手練習をもしてみたのですが、回りの人達は私の急進歩を感じていたようです。先生のご家族との四年間の練習はかなりの収益がございました。この四年間がなければ、私の今日の推手感覚はないでしょう。
これが私の青春時代の最も大切な一ページと言っても過言ではありません。馬家秘伝の感覚は今日になって、私はできる限り研究会の皆様に伝えております。この独特な感覚が今日、首都圏の多くの方々にとって、魅力的なものである故に、私達の研究会が続けられていると思います。僅かに触っているだけで重心が崩れたり…知らぬ間に動きができなくなったり…推手は太極拳の用法だと昔の太極拳論が解釈しています。勿論、推手の正しい感覚は太極修練の正しい道筋だと痛感しております。勿論、盤手によって推手感覚の習得も大切ですが、盤架という太極拳慢架の修行も欠けてはなりません。そして、太極拳の一式一式の用法は推手感覚が研ぎ澄まされたところではじめて論じることができます。今日の世界の色々な太極拳教室が語っている用法や心法はどう考えても順番が逆でありましょう。分かりやすく申すと、太極拳という柔の極めの感覚がなければ、他の拳法となんの変わりもないでしょう。勿論、太極拳の独特な養生効果もあり得ないです。
皆様、正しい感覚を共有しましょう。
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