第1251話 一閉之而已尽矣
- 2019/01/23
- 10:25

私達が申し上げている懂勁はすべて相対的な言い方に過ぎません。いわば、誰が誰と比べればの話です。わたくしが6年間をかけて教えて来た学生や弟子の一部は、家元の五代弟子よりも懂勁しているはずですが、太極懂勁は永遠に終えることはなく、上級になればなる程に進歩がめだたくないことも事実です。そして、健康維持はその名の通り、維持をしなければなりません。一ヶ月に2回の太極拳練習による維持はどう考えても有り得ないです。
原文
在懂勁先、求尺寸分毫為之小成、不過末技武事而已。所謂能尺於人者、非先懂劲也。如懂勁後神而明之、自然能量尺寸。尺寸能量才能節、拿、抓、閉矣。知膜、脉、筋、穴之理、要必明存亡之手。知存亡之手、要必明生死之穴。其穴之数、安可不知乎。知生死之穴数、烏可不明閉而不生乎。烏可不明闭而無生乎。是所謂二字之存亡、一閉之而已尽矣。
解釈
一定レベルの懂勁まで、我々は寸歩を測ってもただの「小成」になります。当然、この場合は自身の寸歩を図ることがなく、なんとか手合いの経験で相手の動きの寸歩を測っています。いわば、レベルの低い武術であります。
上級者の人の寸歩を測る作業は、自身の懂勁、自身の寸歩が知るからです。そうすると、自然と相手の寸歩を測ることは可能になります。懂勁後の相手と自身の寸歩が測れば、はじめて節、拿、抓、閉ができます。懂勁して、筋膜、脈、筋とツボを節、拿、抓、閉で攻めるには、どのレベルまでこの四種類の内勁を使えば、相手に一生の障害、命を落とすことを知るべきです。当然、人間の体での死のスボと生き返すスボを知らなければなりません。人間の一番肝心なツボを封じれば、人間の動脈を曲げれば、場合によってはこれで終わりです。
太極の上級の勁路は、中国を含む色々な国で囁かれています。当家で言えば、「蘭採花」や「陰陽乾坤手」ですね。私は日本で何度も公開講座でそれについて聞かれました。しかも、できれば、それらの技をかけて欲しいとの要望もありましたね。
当家の秘伝は、楊氏老譜で言われている節、拿、抓、閉よりももっと次元の違うものです。嫡伝の者さえ人格を確認できないと伝授しないことになるのがおわかりになりますね。そして、秘伝は相当年数の歪まない訓練が必要です。
太極を武術としても、健康法としても、絶えずの訓練が必要です。
練習しましょう。

スポンサーサイト