第1287話 誤解と閉鎖
- 2019/02/28
- 11:01

人間はかなり誤解しやすいものです。私の感覚では、誤解はどちらかというと互いの勘違いであって、互いにすれ違った方向へ走ってしまうことですが、一方的な勘違いはただ、自己満足へと走ってしまいます。そうすると、このタイプに人はたとえ同じ業界の中でも徐々に孤立されてしまうことになります。
その他のケースでは、色々な国のマスコミや専門知識がない企業がバックにいって、一つの分野のことを間違った解釈を続ければ、まったく合っていない専門用語などでの理論が樹立されてしまいます。もちろん、これは最悪の結果になりますが…このような結果は今日の世界でも多くの組織と団体で見られています。
世界の色々な国が豊かになりました。富はいつの時代も人々を忙しくさせてしまいます。人々は誤解を素直に受け入れてしまう傾向はどうしようもないですね。マスコミがこう考えているから、マスコミがこの言葉を使っているから正しいでしょうと、人々はあまり深く考えもせずに言われるままに受け入れるのはかなり目立っています。思い起こすと、来日して日本語学校に通っているいた頃に、日本語能力試験の訓練の一環として、常に色々な問題集を研ぐ練習していました。中には中国古代の言い回しや漢詩からくる出題も出て来て、四字熟語の漢字は時々異なる場合もあって、これを日本語学校の教師に伺えば、一般的には日本はこうだよと言われます。私は後に日本文学の専門家の方々とご縁があって、両国の色々な共通しているようで微妙に異なるところを伺ったところ、真面目な文学家の皆は色々な資料をわたくしに示し、日本はいつの時代で中国語のどの言葉が日本語のどの言葉、どの言回しになったと、日本文学者の皆様は必ず、「日本という国はいつも適当だよ」と付け加えますね。
今日になって、中国も他の国々の国民もかなり適当になった気がします。理由はただ忙しくなったことならばよいですが、人々が適当になったので専門家も適当になって、世の中の然るべきルールや定義が歪んでしまう傾向はけしからんですね。そして、免許が必要ないことと、民主国家の言論自由を利用し、専門家ではない人達が専門家を装って誤解を招く発言や単語が適当に使われ、社会全体の誤解を深くすれば、私達の色々な分野や世界的には閉鎖的な存在になります。
自由は日本国に住むすべての人間の権利ですが、専門知識がなくて謙虚に学ぶこともしなければ、自由に適当な見解をするのは誤解と閉鎖を深ませる一方です。そして、専門家や一定の社会的立ち場にいる方の間違っている発言や変改はもっと大きな影響力があり、偉い方々の謙虚な生涯学習を心より願っております。

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