第1342話 結果は一日にしてならず
- 2019/04/23
- 12:40

今日では世界範囲で太極拳に関する多くの著作が現れています。時々、私も太極門の依頼で世界の色々な言語の著作を購入しています。何故、太極門まで世界の色々なアマチュア太極拳の著作を注目しているのかというと当然、太極の対する歪曲が心配されている方です。
しかし、世界のほとんどの国は現在、自由国家になっており、言論の自由、出版の自由、一部の国家級免許の制限を除きいかなる学説も基本的に法律違反ではないことは日本や欧米諸外国は言うまでもなく、今日の中国においてもほぼ自由状態になりました。
思い起こすと、1980年代前半のとある日を境にして、その翌日では急に沢山の太極拳教室が現れましたね。あの頃では何故か当家にも多くの日本人が現れました。先代馬岳梁氏は高齢にもかかわらず懸命に英語を思い出して対応していました。私も出来る限り手伝っていましたが、馬氏は太極の用法をほとんど話さないこともあって、推手練習をすれば当然、彼はかなり強いのですが、しかし、はっきり言って当時の海外から太極拳を学びに来た方々のほとんどは、太極拳がどうやって他の武術と戦うのかとのことでした。
昨今、武式太極拳二代の先生が書かれた理論が何故か多くの太極門とほとんど関係ない著作でかなり引用されているようです。特に、水の中で歩く、縦泳ぎ、水面で歩く太極の三段階がかなり引用されているようですね。確かに、水の上で歩ける太極勁はかなり魅力的ですよ。私は武式太極拳のこの例えをいつも著名映画である「ダヴィンチコード」と照らし合わせてしまう程に大好きです。
がしかし、当然、この武式太極拳の例えは結果論に過ぎません。当家の「太極拳講義」も同じく結果論です。私は具体的にどのように太極拳を練習すれば、武式太極拳や当家の結果論に至る本を書いておりますが、これは今日の世界のどの国においてもこのような本は売れないはずです。何故かと言うと、今日で太極に興味を示している人はその結果だけが魅力的に感じられています。
かつての中国五大流派が描いている太極の奇跡的な結果はどれも、数十年の無味乾燥な練習の結果です。奇跡へ至るまでの訓練法は自分の家の外の人間には基本的にお話ししないのが常識です。また、家の子々孫々が奇跡的な太極現象に至る者は本当に数え切れます。
はっきり言って、一部の古典的な日本人の方には古代太極拳の独特な練習は本当にぴったりです。これは、6年間の太極拳研究会の心得です。
「ダヴィンチコード」のような奇跡的な太極勁は実は、スポーツ選手が練習している体感作りの延長線上にあります。
体幹作りができているスポーツ選手は、飛ぶ時の全身の色々なパーツが同時に回転できることと、着地する時に膝や足関節だけで回転と着地をするのではなく、全身のパーツで着地の衝撃を吸収し自身の膝や足関節を守っていますね。
太極勁の水面で歩くような感覚は、体幹がかなりよい選手よりも更によい体幹を習得していることです。
結果だけを語って、訓練法は知らなくて、当然、訓練もしない人の本は零に等しいです。


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