第1344話 意という結果
- 2019/04/25
- 11:26

世の中の99%の考え方からすると、意はかけるべきものであることになりますが、これは、実に大きな影響力があって、私が属している鑑泉社のネットグループでは一般の弟子が流派の責任者に対しては何度も、「意はどこに集中させるべきか、どのように意を使えば身体中の気がうごくか」と、これはこれは、世間一般とまったく同じ質問ですね。
世界のこのような考え方は私が太極を練習しはじめのころから既に流行っていました。そして、先代の話しでは、何とか意を使って気を動かす考え方は古代にも流行っていました。当然、封建社会においてはそれぞれの色々な文化は各家で密かに伝授され、親から子、子から孫のような一脈的な伝え方はもはや当たり前でしたね。でも、中にはうちの先代のように漢民族ではなくて、騎馬民族で一般の方々に対しても何とか基本位は本音で接している人もいます。
太極の数百年の歴史の中では、家の中の練習法を公にする者はほとんどいません。よって、昔から太極は本当に神秘のベルに包まれていますね。人々は自身の気をどのようにして感じるか、どのようにして動くかで懸命に推測していましたね。そして、何という悲しいことでしょうか、稀に太極の家の人間が本当のことを教えると人々はびっくりして、先生が教えていることは世の中のどの推測とも違って、これは本当に本物だろうかとほとんどの人は疑ってしまいます。先生はおそらく、我々にわざと間違ったことを教えているのではないかと考える人もいます。実際、青年時代の私は、もう一人の先代の弟子が師匠の馬岳梁氏に本当に本物を教えてくれたのかどうかを聞き出したことに遭遇しました。当然、馬氏は、「では、あなたは今後、ご自分の好きなように練習してください」と言い残しして去って行きました。私の知っている限りでは、馬先生は彼を破門にはしていませんが、生涯、彼に教えることもありませんでした。
このような出来事は誰のせい何かは青年時代の私がかなり迷っていましたが、この年になって考えみたところでは、太極の家の人々はあまりにも秘伝を隠しつづけていることもあって、世の中では色々な太極の推測もあって、本物が目の前にあるにもかかわらず、人々は疑ってしまうのも仕方がない話しですね。今日になっても、私が申し上げている呉式太極拳の理論や考え方は研究会の中まったく疑われない事ではないですが、お陰様で、太極の正しい練習法は徐々に信頼されつつあります。多くの会員様に感謝致します。
皆様への感謝を込めて申します。「意」は、体の中の結果です。意はかけるべきものではありません。体の動けない関節が動けるようになれば、体の一番圧がかかっているところが緩んでくれれば、人間は自然に気を感じるようになります。脳の指令でその動き出された気を支配しなければ、人間ははじめて自由に気を好きなように動かすことができます。これはいわゆる、「以意行気」です。
まあ、世の中は百の太極拳教室に聴けば、百通りの答えが出ます。私は仕方がなく、競争のためにこのようにしてネットで色々と書き続けています。異なる考え方との議論はもちろん、嫌ですよ。世の中のどこの太極拳教室も、自身の考え方は真理だと確信しているはずです。教室同士の言い争いは疲れるし、他所様の理論でぶつかってくるのも私は基本的に回答し難いです。太極を学ぶ、また、他の何を学ぶにも信頼関係が必要ですね。


スポンサーサイト