第1406話 武術としての楽しみ
- 2019/06/26
- 07:51

人は誰もが楽しみを探し求めるのですが、人々のこの心理状態に合わせてこの世には色々な楽しみが提供されています。お酒を飲むことを楽しみにする人がいますが、飲み過ぎると全身が色々な病気に侵されてしまいます。私は長い間に喫煙をしていましたね。タバコの美味しさはおそらくどなたよりも熟知していたはずです。私は色々な銘柄のタバコを日替わりのようにタバコを順番に吸ったこともあったし、大学の頃はなんと空いている時間であればタバコをほぼ休まずに吸っていましたね。人差し指と中指は黄色く染められて、アパートの壁も汚してしまったことで退去の際には余分に大家さんにお金を支払ったことはいまだに記憶に残されています。とある日の出来事ですが、私はいつのより呼吸が不自然に速くなったと感じて、小指が何故か急に震えるようになり、私は自動的にタバコを受付しないようになったわけですね。でも、タバコを吸わないことで最初の三日は毎日のように涙が溢れ出て、なんどもタバコの自販機前で買おうとしていたのですが、何故か財布を探る時に小指が震えると感じて、このような苦しみが三日も続いたらタバコはなんとなく自然に体から徐々に消えていく感覚も本当に不思議な体験でした。

この世の趣味は本当に多いですね。人間の体が自然になって、脳も体も落ち着いて楽しくなることは人生の質も変わります。世の中では色々な楽しみがあって、絵を描く楽しみがあれば、絵を鑑賞する楽しみもあります。私は先般、画家さんの了解を得たところで自分の作品に入れてみたところ、これも本当に独特な楽しみであることがわかりました。
世の中には趣味という言葉があり、流行っている趣味を楽しむのは常識ですが、常識ではない楽しみは体に害がなければ何も問題がありません。私の祖母の兄弟子である中国山水画の第一人の陸儼少先生も、人様と同じ画風が嫌いでした。芸術に関しては基本的に決まりがありません。一つの作品に対してより多くの追随者がいればその価値も自然に上がります。
武術は違います。武術は人間自身の体で色々な動きを訓練する術であります。当然、動き方によって武術の流派は自然に形成します。どのように体をうごかせば、人間はより哲学的に動けるのかは結果的に真面目に体を動かす人間の悟りになります。わかりやすく言えば、武術のどの流派も創始者の人の悟りからくるものであり、その流派も後の努力家の悟りによっての発展もしばし伺います。武術は体を哲学的に動かすものです。体が最も自然に動けば、格闘の中でも自身の体が守られて、相手は自然に去られることが理想ですね。
私の個人的な考えですが、プロの格闘家であろうアマチュアの武術愛好家であろう、相手に攻撃する際に相手を倒したのですかが、自分自身も怪我したならばこれで楽しみと言えるのでしょうか。武術は自身を危険から守るべきだと思います。人を怪我させるというよりも自身が怪我しないことが最優先にしたいと思います。
世の中のどのような鉄人にしても、体が鉄になることはまずありえないです。骨身の体は自身よりも硬いものにぶつかっていくことは当然合理とはいえません。人とはほとんど手を合わせることがないのに、色々な武術の基本訓練や合理ではない動きは既に怪我をしてしまうことも色々と伺っています。人間は、何かの怪我をひきずったりすれば、これで楽しみを得たと言えるのでしょうか。
私はいかなる武術でも自身の体に不安や負担をかけてはならないと思っています。これが武術の唯一の原点だと理解しております。


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