第1452話 色々な形の疲れ
- 2019/08/11
- 08:24

これを書くには自分自身が疲れているときっと、読者はもうなんとなく推測してしまうのですが、私の疲れは他の方と比べれば、たいしたことがないのも分かっています。まわりでは休日がない方もいますね。話を伺うと本当に疲れたらしっかりと寝るとか、数時間だけ何もせずにして休養をとってまた仕事をする方はかなり多いようです。私は一応、休日があって夏休みもあって、なんとかゆっくり過ごす時間を有しております。
人間は本当に、休養をしないと持たなくなりますね。私の感覚からすると連続勤務の疲れの蓄積というよりも、人間は自然と自由時間を持つべき動物であることの認識はもっと大切です。わかりやすく言えば、人間はぼ~とする時間が大切です。当然、寝ることもそのぼ~とする時間の一部分になります。私は最近、電車の中や飛行機の中でも、たとえエコノミクラスであっても平気で寝るようになりました。

私は日夜連続しての勤務も経験したことがありますが、あの頃は一応懸命に働いて懸命に遊ぶといういわゆる先進国の特徴がまだ日本国に残っていましたね。年二回のボーナスの後はいかに海外旅行を計画するなどで思い起こすと何故か逆にほとんど休んでいない気がします。まあ、あの頃は若かったですね。今になると連休が海外旅行だと言われても何となく体が積極的に動かない気がしていますね。まあ、これが私が感じる自分自身の衰弱ですね。
人は誰でも年をとることから逃げられないですが、いくら太極拳の練習をしても養生術を繰り返ししても体の疲れが取れないとなるとどうしても他の角度からその疲れを考えてしまうのは近頃のわたくしです。
少しやせれば体力の消耗は減ることにはなりますが、この年齢になると痩せること自体もあまり簡単ではないことも分かっています。断酒も食事を減らしても体力の維持が難しくなることになり、ジムに通う時間があれば私は休養をとるとか、薬のダイエットは元々好きではないと、人間はいつも自分自身の口実の為には色々と原因を探すことになります。この点私はなんとなく若い頃とあまり変わっていないようですね。人間はいつになっても三つ子の魂状態ではあまり成長していないと言えるのでしょう。明日からは連休になりますが、より多くの発見と気付きの為に休養と多くの方に会う予定をしております。この年になるとどのように休養することを考えるようになりましたね。立ち止まって残っている人生を考えることは人間自体の質へのことはことを向上に直結していると確信しています。
しかし、来日しての31年間では、日本は本当の変わったのですね。フランチャイズなどの規制緩和でどれほどの方が日夜は働くことになったのでしょうか。年金の捻出が困難でどれほどの多くの方が年をとっても働かければならないのでしょうか。年金を得ても働けるうちに働かないと本当に動けなくなるまである程度の蓄えがないと生きていけない危機を感じているのはわたしだけではなさそうですね。
人間はこのように異なる社会で生きていれば、異なる疲れが存在します。各々の性格も疲れの性質が違います。自分自身の疲れを軽く分析すれば、意外と割り切りができるかもしれません。私は疲れから逃げないようにしています。


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