第148話 至聖所
- 2016/01/22
- 23:38

これは仏教や道教の一部が使っている言葉です。しかし、何故か昨今の西洋宗教哲学者も使い始めていますが…まあ、この世にはいつものように模倣したり、模倣されたりの連続と言ってもよい位に、人間は何故か自己の主張を殺してしまう程のことも恐れずに、なんでも真似してしまいますね。
確かに、真似をすれば何も苦労はしませんが…今日ではマウスをクッリクして全世界の沢山のホームページが目の前に現れますが、私も色々な分野の文書に目を通すことが好きで本当に時々に全く違う国のページで瓜二つの文書が何度も拝見しましたね。東洋の日本語の言葉が土着化された西洋宗教に使われることは全然珍しくないでしょう。
しかし、至聖所という日本語の言葉、しかも先日入手にした新しいパソコンで入力をしたらなんど一発で出てくる日本語の言葉ですが、何人かの若者に伺ってもまるでわからないようですね。まあ、これは無理もないでしょう。宗教に関係している言葉ですからね。
日本語で言っている「至聖所」は、道教が言っている先天という概念に非常に近いです。人間は本来、体のどこかに隠れている一番原始的な聖なる意識があると道教が考えています。しかし、近代社会の様々な誘惑や私たちが生計の為にあまりにも一生懸命して身を削りながら奮闘した結果、私たちは本来あるべき善と仁義を忘れ、身体中を探してもいと聖なる場所はおそらく見出せないでしょうね。
ところで、私の太極拳教室の特徴を申すと、太極勁を一番強調していることが挙げられます。確かに、太極勁の習得は難しいです。そして、このような敏感な勁路は毎日のように絶えず修練して数十年は当たり前ですが、我々の心の奥底にある真の善と仁義に触れていなければ、どの武術よりも微妙な変化を必要とする太極勁の習得は不可能に近いでしょう。
太極勁の上級レベルはもはや、我々の心の状態と緊密に繋がっている特殊な分野であり、心の落ち着きがどのレベルに到達したかによってはじめて私たちの先天に隠れている奇跡が自然に流れ出てゆきます。この点に関しては私もまだかなりの距離を感じて仕方がない状況が続いています…
故に、私は弟子の皆さんに、三年、五年後に自分を超えて欲しいと申し続けております。上級レベルへ到達する為に一番の難点が私にもかなり大きな課題でございます。しっかりした理論を把握し心の余裕がある方は誰でも私くらいの弱い太極拳修練者を超えることができます。
皆様、一緒に頑張りましょう。
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