第1483話 色々な気の解釈の困惑
- 2019/09/11
- 11:49

「太極拳は元々、一種の気功である」と、これは先代の馬岳梁が1980年代の前半に一人の弟子が馬に気功を教えてくれとの願いに対する答えでした。当時、家の誰かが「八門五歩」気功を一般の弟子に披露したそうです。人って誰もなにかの速成法で内勁を手に入れる歪んだ気持ちはかつても今日もまったく変わらないようですね。
当時の先代二人は色々と相談を重ねましたね。私もその一部を横で自然と伺ってしまったのです。まあ、出来るだけ慢架を積極的に勧めていくとの結論に至りましたね。太極拳のグループですので、太極拳の基本拳法を練習しなければどうすればよいでしょうかと、普通は誰もこう思いますね。
でも、結果的に先代は快架の解禁と同時に「八門五歩」気功の一部解禁もしました。条件は太極慢架をしっかりと練習する人でした。それにしても「八門五歩」が解禁されて伝授した一部の人間が「八門五歩」は懸命に練習していたことに対して慢架の練習はほとんどしなくなりましたね。まあ、「八門五歩」はかなり温厚的な気功ですので体に害はないことから、現在では鑑泉社も一部の弟子には相変わらず伝授しています。わたくしはと言うともっと伝授範囲を拡大していますね。
一、封建社会的な伝授法は多くの秘伝が失わされたと感じています。
一、今日の多くの会員が毎日のように呉式太極慢架の練習をしています。
ですので、本当に安心して教えていますね。

しかし、世には色々と気に対する間違っている考えが流行っているようです。練習して一日で気の運用ができるとの解釈はもはや色々なわけがわからない流派の中で広がっていますね。私は太極を練習して45年、太極の専門気功を練習しても30数年経ったと思いますが、私はIQが低くていつも人様のように物事をすぐに悟ることもなく、どんなに頑張っても今日ではまだ完全に気をコントロールしておりません。
思い起こすと私は気が自然と体の中で流れるのをハッキリと感じたのが12~13年はかかりました。今日になってまだ自身の気を完全にコントロールできない時がありますね。先日も会員の方と推手練習をしている際に内勁のコントロールできないことで纏絲勁で相手を浮かしてしまいました。わかりやすくいつも言えば、本当の巨匠ならば内勁を見せるべきではない時には絶対に見せることをしないからです。
このように、気が感じたとか、気がコントロールされたなどの感覚は色々なわけが分からない錯覚ではなく、確実に現存しているものです。現在の状況はよくわからないですが、かつての中国では気を知るには静かになって、人の気持ちと接続すべきとの考え方があったようです。その為には「站桩」をしなければならないとかの学説が流行っていましたね。私は元々これらの学説は知りませんでしたが、公園で太極拳の練習をしたところで少し離れたご年配のからが何故かずっとこちらに向かって、佇んでいてやがて倒られました。私は心配して介護しましたが、彼はいきなり私と接続したと言います。そして、私の内面の凄さで飛ばされたとかと言っていましたね。そして、どうしても呉式太極拳に入門したいと言い出したのです。私はどうしても若すぎてなにも判断できないので、先代呉英華氏に一任しました。話しによると4時間の面接があったようで最後は私の教室ではなく、他の数十年も練習していた同門の教室で落ち着いたそうです。
今日では太極拳を教える人間に伺えばおそらく100人で100通りの答えや解釈が出ます。気功となると本当にもっと沢山の答えが出ますね。とある気功を練習している巨匠は日によって答えが異なります。
気はとにかく、皆様が考えているような簡単なものではありません。人間のすべての筋肉が徹底的に緩んでいなければ、人間の多くの骨格の接続の部分に「虚」の状態にならなければ、気が本格的に動くことが有り得ないです。気が動く錯覚は体を壊すだけですので、くれぐれもご注意ください。


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