第1494話 運気則渋
- 2019/09/22
- 08:07

気を運ぶことは今日の世界でもはや当たり前になってきましたね。多くの気功練習者は自身の気が経絡に沿って走るとか、すべての脳の働きが丹田に集中するなどでご納得していますが、気と言うものは体の筋肉が本買う的かつ全面的に緩んでいなければ、その動きを感じることさえ感じないことがかつてのプロの誰でも知っているにもかかわらず、封建社会の産物である中国武術や太極拳は家庭の中で伝授することが常識で社会一般ではそれらの練習法を公になっていないのです。そして、色々な適当な推測で気の練習が広がるのも仕方がない話です。
そして、気功の世界ではかなりの洗脳で色々な気の練習法が固定されつつありますね。この点に関しては私の毎日のブログも実際は一種の皆様への自分自身が確信している太極理論が少しでも皆様に固定出来る願いからくるものであって、決して無理してこの通りの理論を皆様に押し付けることはないです。当家の宋遠橋伝内勁術は道家本来の教えであり、世間一般と異なるなら叩かれるのも当然だと思います。日本は基本的に各自の宣伝や営業法で経営する方がほとんどです。これが真の自由社会であり、互いに基本的に干渉しないことは非常にけいえいしやすい一面もありますが、逆にそれぞれの商売を尊重する社会常識の反面、太極への解釈の無法状態に対してはあまり追求できなくて、日本は基本的に法律違反ではなければどのような商売でも法律が守ってくれる利点とも欠点とも言えるのは私にとってのこれ以上にない矛盾点であります。

故に、このように毎日の自由時間をブログに当てています。一生涯書くつもりですが、どこかで本当に書く必要が無くなれば、もう少し自由時間のためにはいつかブログをやめることもありうるでしょう。逆に、人間は年を取れば社会問題にもかなりの興味を示すのが基本形ですが、私も最近では太極のまったく関係していない社会問題を提起するブログも書くようになりました。書くのは時間がかかって大変ですが、多くの方を説得することや複数の固定観念をひっくり返すことはストレスが溜まらないわけがありませんね。いつか、多くの方がもうこのブログが必要がないと思われたらやめますね。書く時間があれば、本を書くつもりです。
ところで、私や先代の感覚の体験からすると気の最初の段階ではかなり弱く、少しの雑念やコントロルでもすぐに消えてしまいます。それはそのはずだと確信しております。人間の筋肉や関節が全体的にかなり緩んでいる状態で太極拳の動きを続けていると体内にはっきりとして流れるような感覚がします。私の場合は先代が予測していて、おそらくそろそろこの感覚が出るだろうと言う数ヶ月前にこのような現象が出れば気だと、絶対にコントロールしたり遊んだりしないように注意されました。実際の体験では私はコントロールはいなかったものの不注意で遊んでしまったことがありますね。当然、遊べば気の流れの感覚はたちまち消え失せたのです。私も現在の会員の一人がこの感覚に近いと誤って判断したことがあり、これは私が先代の二人ほどの実力がないことが判明しています。以降、私は推測無しで多くの会員さんに無差別に気を感じた時の対象法をオープンしています。初心者が気を感じるとしたら大概、太極拳慢架の練習が20分から30分が過ぎてから出てくるものですが、今日の私ならば20秒もあれば、体内の流れははっきりと感じますね。
はっきりとわかる気の流れを感じていない状態で色々とコントロールすれば、なんの結果もでないはずです。そして、世界では多くの人が気のはっきりした流れも感じていないのに、丹田に意識をするようにしていますが、元々体の徹底した自由が必要なのに、その時に意念をかければ体は緊張するのが当然です。気の流れも感じていないのに無理して導引することはまさに本末転倒です。何も結果を得られないので、その練習もはっきり言って無駄ですね。数十年も気の練習をして、それでも筋トレでパワーをあげようとする人がいますが、それならばおそらくご自分でその気の練習が間違っていることを証明していますね。
本日のブログは老婆心で皆様に箴言を差し上げた次第であります。多くの気功がわからない人が気を教え、その人達の洗脳によって多くの人が被害されています。
本日のブログについていかなる反対意見があっても私は議論に参加しませんので、ご容赦ください。


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