第1497話 自分の足元
- 2019/09/25
- 12:10

本当に武術を格闘技としてやっているのならば、自分自身の足元が見えない人は無理です。個人的な考え方ですが、そういう人はいつになっても進歩できないですね。人間の武術の技が磨けるのは自身の足元が常に見えており、自身の体の使い方の欠点や自身の使えていない体の部分をまったく理解せずにどんなに頑張って訓練してもこれ以上の進歩は有り得ないです。そして、人間はたとえどんなに体の訓練を続けても歳とともに来る衰弱には勝てません。力が落ちれば人にぶつかっていくのも弱くなります。つまり、実力が下がってしまいますね。
太極ですが、どうしても武術としてやっていくのならば基本的に年をとれば逆に強くなるという非現実的な人間の自然規律に挑戦することになります。ここがもしかして、太極を格闘技として練習する最も難しいところであります。私は今年が56歳ですが、86歳になった時に現在より強くなれるのかと言われると私も自身がありません。このように考えると毎日のように自分の動きの欠点、内勁の動きの足りなさ、まだ成し遂げていない骨と骨の間の虚実の絶えない訓練の継続が老後の実力が現在より少しでも上がる保証になると確信しております。武術家としては常に自分自身の欠点を分析しなければなりません。自分自身の欠点も知らない人は基本的に他人に教えることも無理だと思います。

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かといって、今日の世界では世界的な景気の冷え込みや日本では色々と理不尽な国の杜撰な管理のおかげで多くの方が老後の健康が心配になり、なんとか生涯現役が続けられる考えを持つ方も増えて来ています。これは国の管理が悪いので仕方がないです。この国に住んでいる以上、老後も働けることが最低限度の生活様式になると思いますね。
なんとか、健康だけが目的になることで武術の格闘性はかなり消えてきましたが、人間の健康管理も武術同様に自身の足元が見えていなければ決して有り得ない話しです。
広い意味では、人生も人付き合いもそうです。本来ならばこのような話題は哲学の専門家や人間学者が語るべきですが、私が話すとどうしても中途半端になります。
一人の人間は自分自身の欠点を知らないと進歩しない、自身の欠点を知らずにして人と付き合うならば人様に知らずにじしんの欠点でぶつかってしまいます。人間関係もよくなるわけがありません。
太極は人生のそのものですね。もちろん、他にコツコツと武術を練習し、自身の武術の欠点を懸命に探して修正する方は自身の人間性の欠点も自然と発見できるはずです。
すべての武術愛好家が武術の進歩と人間力と向上を心より願っています。

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