第1498話 揣摩臆測
- 2019/09/26
- 11:53

そこは、日本と中国が漢字や四字熟語の分かれ道になっているようです。漢字の土着化は素晴らしい文化を生み出していることも実は多くの漢文が好きな方との交流の中で知りましたね。以前、大学の経済身元保証人が本当に漢文が好きで中国人から来る手紙がメールをこのまま翻訳なしで漢文として読んでしまうことも日常茶飯事でした。
日本に漢字が本格的に伝わっていたのが紀元後3世紀頃だと伺っておりますが、1700年も時が流れていたら漢字や熟語が変化するとも仕方がないようです。中国語では憶測という言葉はあまり知られていませんが、もしかして古代の言葉のどこかで使われていたかもしれません。今のところ憶測が漢籍である証拠は見つかっていません。この言葉はおそらく日本人の知恵で作られいるのではないかと思われます。
逆に揣摩は今日の中国人もよく使っています。150年前に呉式太極拳の創始者である呉鑑泉もこの言葉が好きでしたね。よく、弟子の皆に「用心揣摩」と言っていたそうです。
揣摩の出典はおそらく、中国古代の『戦国策』に書かれている「蘇秦乃夜發書,陳篋數十,得太公陰符之策,伏而誦之,簡錬以為揣摩」から来ていると言われています。我々は日常でも普通に使っている言葉が数千円の歴史があると言われるとなんだか西洋人に向かっては鼻が高いですね。

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ところで、鑑泉がよく、「用心揣摩」とは、太極勁が体の一種の内面的な動きであり、なんとか常に練習を繰り返しして、体の内面的な変化を無理して変えないようにして、徐々に正確な動きへと自然になっていく途中の冷静かつ体の色々な細かいデータが徐々に修正され、各ジョイントの虚実が最もよい状態が徐々に脳にパターン化されることになります。
よって、すべての無理した脳からの指令による体の動きからや全力でぶつける事によって自身の虚実を完全に壊すような理論はとうてい、太極勁には永遠に至ることが有り得ないです。
世には、一部の無知な人間がナナサン重心であれば、太極拳の虚実文明が実現すると言っている者もいますが、このようなレベルの低い話はもう論外ですね。
当家祖先が弟子らに「用心揣摩」と、つまり、揣摩臆測を続けろうという要求は自身の骨の一本ずつが徐々に自由になって、骨と骨が互いに少しでもぶつからない状態になることです。太極は結果的に一本ずつの骨と骨の間にある弱さが現れれば、いかなる強い攻めも簡単に九州できるはずです。当然、これに至るのが本当の意味で脳が完全に体の情報をキャッチしていなければ有り得ない話ですので、どうか、多くの方が完成に向かっていく太極拳練習をしていただきたく存じます。私もできる限りの色々な発信をいたしますので、引き続き呉式太極拳鑑泉社をご贔屓の程よろしくお願いします。
最後に太極拳の名付け親の言葉で締めくくりたいと思います。
懂劲后,愈练愈精,默识揣摩,渐至从心所欲。本是舍己从人,多误舍近求远。所谓差之毫厘,谬之千里。学者不可不详辨焉。是为论。

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