第1501話 芸無止境
- 2019/09/29
- 23:02

長く呉式を学んでいる方ならば、誰もが一度は私に呉式太極拳って本当に難しいねと、言ってくれると思いますね。実際、私も難しく感じています。太極慢架は基本的に人間の体の内面に対する修正と、内勁の活発化を促すことの作業ですので、この点に関しては私という徐々に年をとってきた人間にとっては同様に難しいです。人間は基本的に一生涯でまったく同じように動けるとは到底考えられない話しです。
昔から中国という国では制定武術で選手の一部が映画で有名になり、世界的な著名人になったケースも多々ありますが、彼らにしてもピーク時では本当に凄い動きで一旦、歳をとればその動きも鈍くなることから避けられません。多くの中国武術家や日本武道家の方々が毎日のように修行を続け、出来るだけの生涯に渡る修行を心より願っているようですが、非常に残念な事に多くの方が膝やその他の関節の 怪我でもはやその大好きな武術ができなくなりました。これは昨日のブログでも異なる角度で言及しています。そして、本日はまた、私なりのもう一つの角度で分析したいと思います。一人の選手が大変高度な武術の技を身につき、世界でもメダルを取りましたと、そして、映画会社からもオファーを頂き、めでたくスターになり、本当にこれからは輝かしい薔薇色の人生が待っていることになった途端に、そのスターが思わぬ怪我で映画と武術のどちらの仕事もやめざろうをえなくなり、何とか生計が立ったにしてもこのスターの方は少なくとも武術というご自分の大切な分野で成功したと言えるのでしょうか。私は若い頃から日本語が完全ではないこともあって、この日本で多くの単純労働をこなして参りました。例えば、清掃業では体力と一定の理解力があれば誰でもなんとかなりますが、体力があまりない年配者、外国人、軽度の障害者、そして、怪我を背負ってしまう スポーツ選手が非常に多い記憶があります。言っての会話もしていましたね。スポーツ選手と言っても膝などの怪我が重いようでしたら一般の解釈は採用もしないですし、いくら選手としての経験があっても必ずコーチになれるとこ限りません。他の専門的な免許がなければ生きていくには単純労働で頑張るしかないようですね。そして、この国の障害者認定は意外にも厳しく、例え障害者年金が降りたにしてもかなり少額の収入しか得られません。まあ、私の力だけでこの国を変えることはとうてい無理ですのでこれ以上の話しはやめておきますね。

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本日のテーマの「芸無止境」は中国語の四字熟語です。その意味は、芸術は永遠に終えないことになります。個人的には、武術は一種の人体芸術であり、芸術は多くの人にとっては何だかの形で喜びや癒しを感じるものであり、人体芸術はそれを心得た人間も自然と喜んで心が踊るはずです。本当に武術が好きな人は一発の対応に追われることがなく、ただ、美しい動きで自身の健康も人生も考慮せずにして他人に喜んでもらうことで自己満足することもありません。世の中の色々な国に存在するオタク武術家は当然、論外ですね。
人間にとっての一番の喜びはどのようなものかと言うと、多くの政治学者や宗教学者も色々と結論を出しておりますが、私は社会主義から資本主義、そして、色々なボランティアでは多くの宗教学者の幸福論も慣れており、今日になって切に感じはじめたのは、アマチュア政治で経営されている国では基本的に幸福になることは有り得ないからです。
私は元々、太極という芸術を一人で生涯楽しもうとしていましたが、今日では一部の日本人の方と本当に不思議に太極芸術論という共通テーマで一緒に楽しんでいます。
私は、人生で制定太極拳を教えることは夢でも思っていませんでした。中国国内ならば、私は伝統太極拳だけでもかなり忙しくなるはずです。今日では中国国内より東京に通う程に私のレッスンを参加して一緒に練習するほどに私を必要としている人がいます。
日本は色々な原因で制定太極拳が絶大的な人気がありますが、私は来日して色々と調査した結果では、この国の制定太極拳と母国中国の内容と大きく異なり、私が持っている限られている制定知識はどう考えてもこの国では無理だとずっと思っていました。今日、私が北海道中国武術倶楽部の太極拳をおしえているのは本当に不思議に思っています。もしも、何かの共通点があるとしたら、共に太極を芸術として考えていることでしょうね。あとは、日本国民は現在、本当に生涯現役をしなければならないかもしれないこともあって、多くの方は本当の意味での健康を真剣に考えるようになったことも考えられます。
一人の伝統太極拳の専門家としては、制定倶楽部を経営することはかなり無理がありますが、私がもし制定の経営者でしたらきっとプロチームを作っていると思います。多くのプロ選手が世界大会で中国武術をメジャーに押し上げる程に活躍。引退した選手はそれなりの研修を得て ぷろのコーチへ、当然、より多くの若い選手を育ちます。または、一部の引退した選手が色々な意味で年寄りの為の養生太極拳をプロとして指導し、多くの人々がいつかプロ武術という人体芸術で納得できる喜びで満たされるといいですね。夢のまた夢ですが…
太極を45年も何とか続けてきた人間は、太極が終わりなき芸術であることが誰よりも知っているつもりです。

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