第151話 楽しみと気配り
- 2016/01/26
- 00:02

「太極拳」は1972年と言う年に中国から輸入された事実は多くの方が共通の認識をしているはずです。つい最近でも、私の記事で何故か田中というお名前が出たのですが、おそらくこれは田中元総理のことではないかと思います。
かつての田中角栄元総理大臣と中国の周恩来元総理の間に達成したのが両国の友好というテーマですが、日中友好の付属条件と言ってもよいくらいに中国の太極拳やその他の制定武術が日本に来ました。その頃に若者が24式太極拳を継続して練習していれば、今日になってはもう40数年になります。まあ、大ベテランですよ。
この私ですが、太極拳教室を経営してもう少しで3年になりますが、まだほとんどのレッスンが青空の下で続けていることはまことに遺憾の限りです。公園などで練習をしていると時々、1972年頃から24式を継続されてきたと思われる方よりこのように声をかけられます。「すみません、これは太極拳ですか???」私は最近になって答え方を決めました。「いいえいいえ、わたくしが適当に考えた健康法です。体操のようなものですよ」と、勿論、嘘です。
しかし、その方々の非常にびっくりした表情から分析すると、どうも、そのショックがかなり大きいです。時々、私がこれは太極拳ではないと答えても、嘘つきと言われてどうもこれは太極拳の他にありえないと主張されてきます。勿論、こうおっしゃっても実際に私が練習している太極拳が何であるのかはわからないみたいですが・・・私は社会福祉の専門学校で心理学も2年ばっかり研究していたこともあって、その方たちはきっと、太極拳なら24式か48式か、42式しかないと思ったことに違いないでしょう。その表情でわかります。そして、流石に40数年も練習していれば、これは太極拳ではないかという位はわかりますね。
私はというと、その方々の40数年の楽しみと誇りを破壊しないために、最近はいかにも自分がやっているものが太極拳ではないことを力一杯の平常心で上手く説明することで頑張っています。40数年も楽しんで継続してきた趣味はその人の人生そのものと言っても過言ではないですね。この点に関しては私もそうです。私も呉式太極拳を40数年かけて修練してきました。私が自分の流派に誇りを持っていることと同じく、24式太極拳を続けている方の楽しみと誇りは私の誇りと全く同等レベルのものであります。
こうなれば、なんとかその方々に私がやっているものは太極拳ではないことを信じていただける方法を探るか、私がなんとか現在持っている限られているお金で都内で激安物件の入手できるかの二者択一になりそうですね。
人は誰でも長い間に培ってきたお楽しみがあり、勿論、その楽しみに対しても一定のプライドを持っているはずです。人様のお楽しみと意地と、誇りを尊重していくことが人間としての気配りであります。
頑張ります。
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