第1526話 筋骨皮の一言の誤解
- 2019/10/22
- 12:43

朝の時点でFacebookのリクエストが数百件の上っています。本当に異常ですね。一説によると上海で世界武術大会が開催されている関係で制定の関連者はかなりリクエストが来ているようですが、数百件はないでしょう。まあ、わからない言葉がほとんどでフランス人やイタリア人も何人か来ていて、それならば文書を読むだけでしたら五割くらいとのことであまり武術関係とは言えないことがわかります。色々と悩みましたが、入れ墨がある人間だけは削除しましたね。あまり毎日のようにtimelineの投稿するならば、その時は削除します。
本日のテーマですが、太極は、筋、骨と皮の三つの段階と言われていますが、一部の人間はこの三つの段階を三日完成したかのように説明していますね。人間の筋肉が本格的に緩むことがどれほどに大変なことかは懸命に練習を繰り返しして数十年の歳月かかっても成し遂げない者が沢山いたにも関わらず。今日の中国のネットでは何でも適当に太極を解釈する人間の神経は私は本当に理解できませんね。まあ、日本や東南アジアで太極という名前で経営している面々はもう論外です。本当にネットで色々と嫌になったら、facebookを暫らく休むことを選ぶ方の悩みはわかりますね。特に、今日の太極拳や武術、武道では基本的にそれぞれの考えがことなり、ネットで色々と議論されるのは本当に疲労困憊になりますよ。だって、異なる考え方で何とか相手を説得することは基本的に有り得ないのではないでしょうか。私の研究会でも稀に他の太極拳教室で人間関係が複雑になったところで移籍の申し込みがありますが、見学や面談ではこちらの考え方にはかなり理解できない状態がわかると何とか前の団体の上席の方と相談して、人間関係を整えるようにお願いしています。まあ、何度もメールして、見学もして、面談もあって、最後に挨拶もなくて当研究会には入会しないことになって、我々の労力は半端ではありませんが…。

太極の基本は、人間がまず長い訓練のよって、徐々に筋肉を使わずにして徐々に体が動けるようになる訓練を続けるのです。別の角度からすると、筋肉隆々状態での発勁は基本的に太極の発勁ではないことが言えます。
太極は基本的に筋肉が動いていない状態で骨と関節だけで動くことを一番基本的な状態を目指す訓練になります。いわゆる、太極拳論が申す「用意不要力」ですね。もちろん、この状態は人間の指や手首の関節の骨だけではなく、人間のありとあらゆる骨と骨の関係が随意筋の働きがない状態で動くことになります。ではなければ、ピアニストや楽器奏者のほとんどが「用意不要力」ができる状態になりますね。
そして、全身の骨の自由度更に上がると、全身が動けば内勁が動き、相手との手合いではそれこそ皮で相手にわずかに触るだけで「粘、黏、連、随」ができるようになり、これで十三勢を超える「固有分明」状態で太極を応用できるようになります。もちろん、これは5日ほどにできるわけではありません。私は38年ほどかかりましたね。もちろん、正しい訓練法と絶えず揣摩臆測を続けることが大切です。
太極の最上級の状態になると、人に触っているかどうかもはっきりしない状態で、腕の毛が僅かに人に触っているくらいで相手を浮かすこともできますが、これらの勁路は私もまだまだ修行の途中になります。
太極は継続が一番大切ですね。


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