第1527話 科学的な動き
- 2019/10/23
- 11:34

武術は体の使い方であることは当たり前ですが、今日の世界では適当な体の使い方で一人の人間の解釈で一つの流派ができる程に武術や武道は本当に適当になりましたね。久しぶりの火曜日の休日ですが、私は武術を練習している武術編集者の二人と三時間もかけてゆっくり話をしました。まあ、世の中にはいかにして安定したお金が入ることでどこも懸命であることはわかりますね。私だって、お金が欲しいです。お金を欲しい気持ちは人類であれば、国も民族も関係ないですね。一部の修道者は財産を持たない代わりに修道会が生涯の生活の面倒を見てくれることになります。まあ、修道生活ですので、最低限度の生活ができればよいですね。浮世の色々なストレスから解放できればよいですが、人間が集まる場所では人間関係が難しいのは当たり前です。中世の修道会の中ではセッパラチオという言葉があり、修道会の仲間でも一定の距離を置き、互いに声をかけないようにしています。まあ、私ならば時間が経つと多分、気が狂ってしまいますね。
浮世で生息していくには、お金が必要ですね。資本主義社会では人がお金の為に生きていると言っても過言ではありません。特に不景気が長引く日本国ならば誰も生きていくのは必死です。がしかし、武術や武道といった特に国の免許が必要としない分野では一定の修行もせずに少しかじっただけで独立して、人間の機能の常識を無視しては新しい武術や武道を作り出すのは今日になってもはや国が関係なく存在していますね。このような動きで本当に大丈夫だろうかと思う人は私だけではありません。一つの組織ですが、簡単に支部を出したり簡単に独立ができたりして、個人の意向で簡単に武術や武道の教室の経営が簡単にできて、修行も全然していないにも関わらず巨匠のように振舞って、実戦では使えない体の使い方では健康を損なうことにもあります。中国や日本では昨今の色々な武術家や武道家が50、60で早くも人生が終えられ、当然、これらは色々な原因がありますが、個人的な見解では自身の体を非科学的に使い続ける結果がこのように表れているだけです。

太極は確かに身体操作が独特です。もちろん、他の武術とは異なります。これは、太極が力がない者でも勝てる、年で体が衰弱しても何とか手合いができることを目標にしているからです。昨日に太極以外の武術の専門家との対談では、攻撃の際に腕にほとんど力を使っていないことがわかりました。その先生の考えはこうです。両腕が力むと体全体のアンバランスや不自由が生じるそうです。太極以外の武術がこのように考えているとは本当にびっくりしましたよ。いつか、その先生の対談できればと思います。
武術は人間の体を使っての術です。人間の体はかなり弱いものであることも多くの分野の専門家の研究で分かっています。まあ、真面目に武術の伝統を継承している人も、医者もしっかり研究している日本の鍼灸師も人間の弱さがわかっているはずです。人間の弱さをまったく知らない者は体を壊してもまだ知らないでしょうね。本当に悲しい話ですが、一部の医者が人体の体の弱さを知っていません。悲しいですね。

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