第1533話 基礎
- 2019/10/29
- 12:16

世の何事も、どの分野も基礎が大事だと言われています。日本のことはよくわからないのですが、中国だと囲碁のトップ選手は毎日のように小学校レベルの定石の書籍を読まれるそうです。私も時々、太極の基本を読み直しますが、私にとって、太極の基礎を読み返すことは自身の修練が間違っているかどうかのチェックになります。
太極修練者の最も恐れていることは、知らないうちに間違った練習や認識をしてしまうことです。特に、今日の私は先代の二人もいなくなり、自分を信頼してくれた会員の皆様には責任があり、私の太極修練は少しでもずれることが許されないからです。よって、立場からすると私は常に太極の基本である太極拳論を読み直していないといけません。
本日は中国明朝王宗岳がうちの異なる系統で残されている拳論の一部に惚れました。
又曰。先在心。後在身。腹鬆。氣斂入骨。神舒體靜。刻刻在心。切記一動無有不動。一靜無有不靜。牽動往來氣貼背…。
太極拳論はいかなる系統からの流れにおいても、心という言葉が必ず出てくるくらいに太極練習では人間の筋力である機能的な動きの限定が読み取れます。人間は基本的に随意筋をまったく使わない状態では体が動かないはずですが、色々な太極拳論が申し上げているのは数十年も修練した結果がほとんどです。

先在心。後在身、人間は基本的に脳の指令で体が動くのですが、太極の上級者は脳の指令と関係なく体が自然に動きます。
腹鬆、太極の上級者はたとえ腹部がいきなり攻撃されても力を入れないままで対応します。
氣斂入骨、太極修練で筋肉と筋肉が互いに邪魔しない状態が長く続けば、筋肉の間にある気が徐々に自由になりますが、それよりももっと難しい骨格と関節の自由によって、気が徐々に骨と骨の間に集まっていきます。当然、骨格と関節の自由はそんなに簡単ではないですが…。
神舒體靜。刻刻在心、長く練習している上級者が筋力の動きがなく、体が本能的に動いているだけです。医者の一部が脊椎反射として解釈しています。人間はこのように動いていれば、当然のように物凄く優れた気持ちになります。これは当然、初心者が適当に太極拳を練習して、体は何も感じないことではなく、適当に作った太極拳の似た動きで練習者が何も疲れを感じないこととも違います。
切記一動無有不動。一靜無有不靜、体のどこかの骨格が所定の位置になっていなければ、体の動きもバラバラになります。日本の制定太極拳では太極の本来の形の学習が足りないので、その代わりにダンスのような動きを評価するとも言われていますが、逆に、私は世界の色々な伝統太極拳を名乗る太極拳の体の形もほぼ日本の制定太極拳のままに感じます。これは、人間の動きにくい骨格や関節が誰であってもどうようです。人間は地味に確実の自身の骨格の状態を変えていかなければ、体の動きはバラバラになるのが当たり前です。
太極ですが、ただ形がゆっくり動いていて、何となく似ているだけでは武術も健康効果も有り得ないです。もちろん、適当に中国人の名前を作って、その人から学んだとかの伝統中国武術教室はもはや論外です。


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