第1558話 40年間の思い
- 2019/11/23
- 08:04

40年と言ったら約人生の半分と言っても過言ではないですが、今年で丁度、中国改革開放も40年を迎えるようになりました。40年前では中国のテレビではじめて広告が流れるようになり、かなりつまらないテレビの内容ではありましたが、当時の青年の皆は海外の広告、特に日本国のトヨタ自動車やオリエントの電子腕時計、カシオの電卓などが注目されていましたね。もちろん、当時では自家用車が買える人間なんかはこれっぽちであり、カシオの電卓でさえも我々にとってはかなり高額なものでした。当時の中国で最も開放的だったのが香港やマカオの隣町で収入もかなりお高いでした。記憶に残っていることでは当時の中国内陸の一般労働者が進んだ地域に出張しに行ったら持ち金が足りなくなります。同じ人民元を使っている国ですが、収入も物価も差があり、たとえ当時の上海であっても我々は中国で当時のもっとも経済開放していた深圳や珠海とは比べる者にならない程に差があったのです。
丁度あの頃、第二次鑑泉社がスタート致しました。当時では師匠の呉英華氏が社長に就任しました。いくら鉄腕夫人であってもあまり若くなかったですね。あの時から40年、中国の改革開放と共に歩んできた歳月はすべての中国人にとってのこの期間はどれほどの変化だったのかは、逆に若くして海外に定住している我々が一番わかるのではないかと思います。国が激動しても、鑑泉社はあまり変わらないことを気付いたのは社員の会費があまり変わっていないからですね。一部のトップに人間はまだ海外のであれば中国よりも豊かであるとの誤解はおそらく最近まで続いたと感じております。これはおそらく、先代の二人の後を継いだ者も高齢でしたので、若い世界観を持つ人が鑑泉社のトップになったのがかなり最近のことです。これは、四代社長が生前退位したこともあって、我が鑑泉社もようやく封建社会的な考えよりも近代風に移り変わる意識があったからこそのことです。太極を修練する人は長生きが基本ですが、90歳過ぎても社長の座に居座り続けることはいかにも近代社会に合わないことが鑑泉社の例でなんとなくわかりますね。
鑑泉社のかつての弟子はどちらかというと黙々練習する者が多いです。太極拳の練習の質はさておき、貧しい時代の中国人はあまりたいした娯楽がない為、太極拳の練習は趣味の一種と言っても過言ではありません。もちろん、後の世代では改革開放で仕事もかなり忙しくなり、休日は色々と新しい時代の娯楽もあって、勤務の過労で確かに体は正直に動かしたくない現実もあって、たとえ本家の弟子であっても真面目に太極を練習している人がかなり少なくなりましたね。このように若い世代はこの呉式太極が中国の文化遺産級の宝物との感覚がどんどんと薄れていく中、逆に中国では色々な国の文化遺産が申請されていく中で鑑泉社はかなり遅れています。おそらく、我々よりも前に世代の呉式の先輩に皆は色々な名誉よりも自分自身の練習と教室の経営などで奔走はしているものの、「非物質遺産」登録に手が回る余裕はなかなかないと思いますね。たとえ、呉式が今日では東西南北や甜咸香臭と色々な支流が生まれており、呉式太極にも何故か関係ない楊式大架の動きや孫式太極の動き、更に八卦掌の動きも混ざっていても、鑑泉社以外の呉式と名乗っていて、どれほど自分自身のことを巨匠に仕立てても所詮、国家に「非物質遺産」の登録は無理ですね。遺産登録はしっかりしたシステムの確認と遺産になる内容の確認、太極の限っては残されている技の数と套路の数が当然のように問われることになります。呉式快架も出来なくて、十三式基本推手法も活歩推手もなく、武器套路もほとんど残っていない呉式では当然、国に対しては説得力がないからですね。
先般の上海世界武術大会でも、鑑泉社の五代伝人が所謂呉式の規定套路で優勝しています。私は日本国の学生には規定呉式での出場は基本的に賛同しておりません。従来の呉式太極拳との差が大きすぎるからです。陳式や楊式、または孫式太極の規定套路は従来のそれぞれの太極拳にかなり近いですが、呉式だけはまるで別物です。もちろん、呉式規定套路すらできていない国の全体レベルは本当に低いですよ。先代の二人は晩年、呉式太極精簡30式を作っています。これは、本当に体力がない方の為と、短い時間での制定の試合の為のものです。しかし、先代の二人は高齢のこともあって、無理に積極的に国へ進めることをしなかったこともあって、当時の改革開放で中国と言う国は一時かなりの新鮮な出来事も沢山出揃ったことで商売の自由化が進み、根拠のない継承や非科学的な商売がかなり流行し、30式太極拳もとうとう、国に規定太極拳になることがありませんでした。
私は今、鑑泉社「非物質遺産」登録の成功を祈っております。これが、我々がいただくべきものです。長い間に諸事情で申請が遅れ、今日になってやっと若い世代の努力でやっと結果が見えてきました。生きている間にこれに預かることは至福です。そして、呉式嫡伝者の一人として、この遺産を日本で多くの方に伝わっていくことを切に願っています。


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