第1562話 吸収の広さ
- 2019/11/27
- 11:44

先代は家族に推手練習を教えた際にいつも全身範囲の吸収が要求されていましたが、よって、少しでも体のどこかに硬いポイントがあって、そこで吸収できないようでしたら自ら出ていくことが進められていました。当然、このようなまったく吸収ができない状態であれば、太極の専門用語では「双重」と申します。もちろん、両足に重心をかけて懸命に踏み込むことは確かにこれも「双重」になりますが、双重は基本的に両足に重心がかかっているか否かとは関係ないはずです。たとえ呉式太極拳も弓歩と虚歩の際はジュウゼロであることが理想とされていますが、果たして、呉式太極拳の本家であっても今日ではこれらの難しいポイントがどれほどの人間が納めているのかは不可知です。まして、太極拳はいかなる流派であっても両足に重心がかかってしまうケースは避けられないので、一部のネットで「双重」を両足に重心がかかることでの説明は基本的に不成立ですね。
そもそも、「双重」は「虚実分明」の反対語であることはおそらく多くの人が知らないと思います。そして、普通に生活をしている人間の体は「双重」のままです。具体的に申しますと、人間の体は基本的に骨の上に骨が適当に重なっている状態になっています。これは動物も同様です。物の上に物が重なっているだけでしたら外来の抵抗に対しては基本的に抵抗で返すしかないですね。太極が考えているのは抵抗で抵抗とぶつかるよりも、抵抗が吸収できる体作りのことが最優先されます。実戦の中では抵抗で抵抗に勝つことは「双重」になります。吸収で抵抗を無くすことが「虚実分明」になります。まあ、あまり難しく考えてもただ理解しづらいだけですので、このようなたとえ話がわかりやすいのですが、大きなスポンジに攻撃をしてもどんなに打撃の世界チャンピョンのパンチでも吸収されてしまうのですね。太極は人間の体を一つの大きなスポンジのようになる修練をすすめています。そして、「道」では人間の体がこの大きなスポンジ状態であれば、最も健康であるとの実験の結果が出ています。
ところで、世の中ではなんとかゆるゆる術とか、指一本で全身が緩まれる整体術とかがかなり流行っていますが、これらも当然、太極の基本理論である人体の全体が人からの攻撃さえ吸収できる「虚実分明」から来ているはずです。今日の世界の中医学的な見解も人体は緩んでいるべきになっていますが、しかし、全身がただ筋肉が緩んでいる状態であれば、この人間も基本的には寝たきりにかなり近い状態になりますね。ですので、太極拳はぼよんぼよんの筋肉が希望しているのではありません。太極はただ、伸びやすく柔らかい筋肉を望んでいます。もちろん、普通の関節や、普通に骨と骨が重ね合わせていると筋肉がどんなに柔らかくても、基本的に人間の骨格が相手からの抵抗を吸収していなければ、筋肉レベルの吸収では「虚実分明」とはとうてい考えられないはなしですね。徐々に筋肉の緩みと伸びから関節などの伸びになり、道の考えでは骨格の一節ずつが伸びていけば、血液と気の巡りがよくなって、一般の人間と丸っきり異なる状態が出来上がります。いわゆる、「筋、骨、皮」は人間の緩みは筋肉の軟化の伸びによって、関節や他の骨と骨の関連状態の昇華への訓練の順番を示しています。筋肉も伸びていないのに、骨を一生懸命に動かすことならば到底無理であって、無理にこのような動きをするのならば体が壊れるのも仕方がないです。
結果、筋肉がまったく伸ばされていない所謂ゆるゆるなんじゃら太極拳も、サンドバックを叩いて、筋トレをしながらのなんとか太極拳、またはがっぷりぶつかって力勝負の所謂推手は基本的に「双重」のままですので、本来の太極思想とまったく無関係ですので、ご注意くださるようお願いします。共に、頑張って参りましょう。


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