第1590話 逝者如斯夫、不舍昼夜
- 2019/12/25
- 12:02

クリスマスの日に孔子の言葉を思い出しました。それもそのはずです。令和元年は残すところあと僅かになりましたが、一年で最愛の親友を二人もなくしてしまうなんて、はっきり申すと令和元年は私にとってあまりめでたい年ではありません。そして、度重ねる凶悪事件と交通事故、夏の巨大台風は本当に恐ろしい光景を目の当たりにしました。このような景気のどん底の中において、我が国の政治家は消費税アップを断行しましたね。私個人はというと、度重ねる事件に巻き込まれ、色々なクレームの処理に追われる一年になりました。
はあ、愚痴を溢している場合ではありませんな。親友の旅立ちで色々と私も悟らせていただく中で、本当に愚痴を溢す時間、悩む時間があれば、仕事をしたいです。何かをしないと時間が無情にも流れて行かれますね。これが本日の孔子の言葉であります。何故かわからないのですが、今日の中国語のサイトの解釈はどれもかなりおかしいです。当然、日本語のサイトもこのまま訳されているものが多く、完全ではない解釈が多いですね。確かに、これは孔子が川の畔で発した言葉であり、本文に逝という言葉は流れゆく水も当然含まれていますが、逝者とは、実はすべての去ってゆくものです。月日、季節、時間、我々の命、そして、時代とその時の科学もすべて含まれ、昼も夜も留まらず、誰の意思にも左右されずにして進んでいます。いったい、孔子は我々に何を語りかけているのでしょうか。
去り行く季節は四つにように感じますが、一日ごとの変化に気付き、その一日ごとに自身のやるべきことをしっかりとやっているのだろうかをしっかりと糾明すべきでしょう。一年が過ぎたところで我々はしっかりと残されている人生の中でどのくらいのことをやるべきか、太極修練者は本来、はっきりした目標を立てないのが正道ですが、少なくとも自身が今現在、どれほどのレベルまでに来たのかを把握していなければなりません。もちろん、自身の価値を最大限に引き出すにはいかに健康維持をして、いかに健康で長生きして、いかに生涯現役で一人の人間の価値を上げていくこと、逆に、日常の中で日進月歩の科学に対しては追随しなければならない部分と、残されている文化をしっかりと継承されていく両面性の努力も人間に課せられている責務だと、孔子はきっとこう言っています。人は誰でも進んだものを使いたいですが、便利と進化で伝統を忘れると、素晴らしい文化が川の水のように流れ去っていくようになったら本当にもったいないですね。
ところで、今日はとにかくクリスマスの日です。伝説によると2019年前にキリスト教の救世主であるイエズス キリストが生まれた日です。何故、全世界の人々に記念されているのかは諸説があり、私もあまり深く研究しておりません。キリストはユダヤの地で生まれたアジア人なのに、キリスト教は何故、西洋とその植民地で大々的に展開されたのかも私はまったく理解できません。私の調査であれば、キリスト教会の歴代教皇は一人だけアジアのシリア人がいましたが、その他はほぼすべてが欧州人が教皇を務めてきましたね。アジアの文化や宗教が異なる人種によって伝承されると、そして、今日も同様に中国の文化が海外の色々な人種に伝承されていく中で、太極という文化の家で伝承されている我々はどのようにして、この素晴らしい文化が残されていく仕事は私の残されている人生のすべてになります。頑張ります。
そして、とにかく、メリークリスマス。


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