第1596話 漢籍とその他
- 2019/12/31
- 12:21

今年は残り僅かになりました。日本で一年の間に二つの年号を経験したのがはじめてです。古代中国では年号又りでは必ずと言っていいくらいに災いが来ていたのですが、令和元年は本当に多くの災いが日本を襲い掛かってきました。災害で多くの人が命を落とし、多くの人が怪我、多くの家財が失われました。多くの不意が人々に色々な形で襲い、多くの方より、いつもの年よりも精神的に負担が多いと伺っております。
わたくしは、台風19号が関東直撃の一日で年間の最大のクレームを一杯飲みながらなんとか冷静に処理していました。そして、最愛の親友の二人も失いました。研究会は入退会の繰り返しであと何年経てば安定に迎えられるのかで心配する日々を過ごして参りました。そして、自身の太極勁の進歩はほとんど感じなく、太極を練習すればするほどに難しくなることがこの歳になってはっきりと感じるようになりました。
私はできれば、日本で言う漢籍を研究したいと昔からこの気持ちがかなり強かったです。これは当然、母国古代のこれ以上の言語感覚がこの国で読まれている以上、これを研究しないわけにはいかないのですが、来日してもうすぐ32年になり、色々とやらねばならないことが多すぎて、今日になっても中々実現できない状態が続いています。今年は更に、年号が漢籍であろうか無かろうかでと世は色々と騒いでいますが、好き嫌いは人の自由に任せればよいものの、国の一大事の祭典の際に漢字の読み間違いで不吉な予感が漂わせてしまうことは到底容認できるものではないと思います。
もちろん、自分自身もまだ日本語が完全ではなく、なんとか少ない時間で日本語の勉強もしなければならない気持ちはこの歳になって益々強くなってきました。まず、日々のブログでの誤字脱字や合理ではない文法や文脈を無くし、いつも読まれている皆様にご迷惑をかけないようにこれからも努力しなければならないと感じております。
そもそも、世の中では何かのサービスを提供するのであれば、そのサービスでお客様に迷惑をかけるわけにはいかないです。レストランで食事したら下痢になった、健康の為に体を鍛えていたら逆に怪我になった、長寿の為にはじめた養生術や気功で60で命が終わりましたと、これでお客様からお金をいただけるのだろうかと私はつくづく思います。これは当然、私自身も長生きできないと自身が提唱している太極が本物ではないことになり、自分はたとえば本当に短い命しか得ていないようでしたら、私を信じていくれた人々に対しても同様に迷惑をかけることになります。
結果、私達は自身が提供するサービスについてそれなりの責任を負わなければならないことはこの世の常識です。自身の健康と命と引き換えにして、強さを求める武術も一種の生き方です。私はその方々に対してはいつも頭を下がりますね。これは、自分自身という臆病者にはできない生き方ですので、当然、最大の敬意を払うべきですよ。しかし、もしも誰かが体を壊してでも強さを求めていながら、それでも我々は健康と長寿の為に修行していると宣伝し、人々を洗脳するのであれば、私はそのその人達を軽蔑します。
私は、個人的に太極と他の武術を兼ねて修練することを反対していません。太極は他の武術とまったく異なるからです。太極門の複雑な人間関係や今日の日本国の太極拳市場の競争の激しさから、太極拳同志の兼修を断ることもありますが、基本的に人間はどの武術を練習していてもよいと思いますし、真面目に練習していれば、どの武術もかなりの成果を上げることが可能だと思います。しかし、どれも趣味レベルでどれも中途半端ならば、個人的にはそれを嫌悪します。そして、どうしても一つの武術に惹かれ、それを極めたいのならば、その武術だけを修練することは当然でしょう。
しかし、世の中では極めたい、極めたいと言っておきながら、他の武術をかじっている人間は本当に多いようですね。しかも、何かの流行に身を投じて、中国では正道からするといかにも邪道的な武術に手を染め、何も調査せずにしてのこのような行動は本当に愚かに感じています。そうすると、どう考えてもその人達は元々の武術も浮気した武術もいずれは適当であり、いくら練習しても、いくら自分自身が強い強いと主張しても、結果的に武術の神髄に触れることが有り得ないです。
何でも適当に提供するのか、または常にお客様が体でご納得できるサービスを提供するのかは私のとっての永遠の課題です。いつも頑張ります。
では、皆様にとって、来年はよい年であるよう、心より願って、本年のブログを締めさせていただきます。


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