第1605話 因禍得福
- 2020/01/09
- 10:29

本日のテーマは日本語にもかなり似た熟語があります。本当のところ、中国語にはほぼ同じ意味と漢字の四字熟語があります。もちろん、中国語では意味がかなり近い四字熟語も多数存在しております。私は以前に数人の日本人の方を上海鑑泉社に連れていたことがありますが、師父馬江麟は皆様に中国語の勉強を進めていましたね。その理由は外国語の勉強と太極理論の勉強の一石二鳥です。私は義務教育が丁度国の動乱に当たり、今日になって、徐々に中国語の古文を徐々に勉強するようになっておりますが、年齢で中々覚えがよくないですね。私はもう少し若い頃に母国の動乱で古文が把握していないことで何度も友人の皆に愚痴を溢していたのですが、今になって、よく考えてみると母国の動乱がなければ、私はおそらく日本に来ていないですし、太極への修練もなかったと思います。そして、私は来日してはできる限りの生活の安定を望んでいて、安心して自分自身の太極に少しでも没頭できることを企てていましたが、度重ねる失職によって今日では来日の当初にあまり望んでいない太極拳教室の経営に至っています。呉式太極拳研究会教室の経営は今でも大変で最初の頃は災いのはじまりと考えていましたが、今日ではまだ安定ではないにも関わらず、多くの真面目に練習している方に囲まれていることで私は現在の稼業は福であると感じるようになりました。
申し上げたように、まだ安定はしていません。私が教えている北海道中国武術倶楽部のトップの先生に言わせれば、中途半端な気持ちの人やひやかす人はいつの時代になっても消えないことはやっと理解できるようになった気がします。がしかし、周りにいつも真面目に太極を研究している人がいれば、それはまたかなり嬉しいことではないでしょうか。日本では長い間景気の低迷が続いていますので、中国の富裕層の人達が月の何日でも練習する月謝制は無理です。私も日本国の上流階級が太極に興味を持つことを望んでいましたが、国の特徴というか、おそらくこの国では一般の会社員の方が太極を望むようになります。当然、沢山の教室を継続するしかないことは一定の体力が必要ですが、こうなれば、私が断酒でもして、もっとしっかりと太極を練習してもっと健康になればきっと、こなせるはずだと感じるようになりました。
話しが変わりますが、先代の二人は中国近代史の中でも太極の達人として知られています。がしかし、この二人の人生は順風満帆とは言えません。馬岳梁先生は刑務所にも入りましたし、長い間では自由に太極を教えることができませんでした。呉英華先生も国の動乱で少なくとも12年間は公に太極を教えることが禁じられていました。でも、二人の先生はいつも私にはこう言っていましたね。収入が少なければ、最低限度の食事をしっかり食べて、新しい洋服を買わないで、他の贅沢もしないで、太極の練習をしましょう。我々は太極を楽しむことがあるのではないかと、あの二人が数十年間に渡っての朝の5時起きは凄い太極勁として実っていましたね。今日ではおそらく、先代の二人のような貧乏人はいないと思いますが、今日の中国で先代の二人ほどの太極勁を習得している人がいないのもこれが原因ではないかと思います。
急に、中国語古文の塞翁が馬という言葉を思い出しましたね。確かに、この国で太極またはいわゆる太極拳を教える人間としては凄い収入が得られるとは考えられないと思います。もちろん、中には固定観念のよって、月謝だけで何万も頂いている師範もいるようですが、この国では多くの太極拳先生は何とかのスポーツクラブや人様が経営する教室の中で働き、凄い搾取されながら生きていることだと伺っております。どこも所属していな人間、私のような人間でしたら生徒と募集から普段の経営の中でいろいろと非常識な人間のいじめを受けることも避けられないのですが、偵察やひやかしが多いならば、見学や入会システムの見直しをすればよいです。私が受けている非合理的な待遇は先代の二人とは比べることにならない程に軽いものです。多くの真面目に太極を練習している方々が周りにいてくださることは私の福です。そして、真面目な方を会に入れていくことが私の責務です。その為にも今後、見学や入会のシステムを色々と見なおしして参ります。
本日の四字熟語
因禍得福、わざわいを転じて福となす


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