
本日は農歴庚子年の新年です。全世界の16億とも言われている中国系の人間にとっては最大の祭りのスタートになります。もちろん、いかにめでたい時でも必ずしも喜ぶとは限らないのが古代も近代も同様です。中国のもう一つの中秋の名月という祭りではいつも家族を思い出すように習慣づけられていますが、新年のスタートの際に親友や愛する人を思い出してしまうこともありますね。

本日のテーマは唐朝詩人の来鹄(?-883)の詩であります。
事関休戚已成空、萬里相思一夜中。
愁到暁鶏声絶後、又将憔悴見春風。
詩人はこの世の中のすべての喜びと憂い、幸せと災いはすべて空しいものだと感じていて、ここまでの人生での愛する人への思いを除夜から新年への一晩にかけ、やがて暁が過ぎ、いかなる思いで憔悴しきっても次の一年へ仕方がなく向かっていかなければならないと、人は誰でも色々な悩みをもっており、そして、詩人の詩は人によっての読み方も微妙に違うことは中国だけでしょうか。それとも、ゲーテの詩も同様でしょうかと、私は近頃に色々な漢詩を読むたびに感じております。私は当時の中国で諸事情でギリギリ義務教育がままなっていないのが生涯の悩みですが、出来るだけの漢詩を読む生涯学習はこれからも続いて参ります。

古代中国人の旧暦の感覚は、大自然の感覚そのままです。自然の変化は必ず365日という周期ではありません。この新しい旧暦の年は384日もあります。これは旧暦で四月が二回もあるからです。一年が長ければ、色々な季節も重なります。農歴庚子年は立春が二回もあり、これは人類にとってこれ以上にないめでたい年であります。
私は本日も仕事があって、体力を温存するためには流石に徹夜は無理ですが、中国にいた頃では色々な悩みを抱えていた頃では徹夜で色々と深く考え、朝日が昇る前には師匠の家にお邪魔して師匠と一緒に太極拳の練習に楽しんでいました。中国人の感覚では、いかなる悩みでも年越しをすれば、すべては良い方向へと転じるわけですね。新年の際はすべて大吉ですべての不幸な言い方はタブです。これはすべて、積極性に満ちた中国人の個性だと感じております。どんなに貧しくても新年になるとなんとか新しい服を身に纏って、新たな気持ちと新たな希望で前向きに進む気持ちはおそらくどこの国にも負けないですね。

海外にいる多くの中国人はなんとかその国の風習や人付き合いを学び、住み慣れた国に徐々に同化されていくのは当たり前です。そして、多くの中国人は、いつになっても心の中では中国人独特な「過年」という概念があり、年という誰も避けられない大自然の規律に従って、皆で新年の挨拶をして互いに祝福の言葉を述べてはこの新しい年も幸運と幸せ、一人ひとりのすべてがよい方向へ転じていくとの気持ちはおそらく、全世界のどの国民よりも強いはずです。もちろん、願いだけではいけませんが、着実に自身の専門を展開できる努力と、得意ではない分野の学習が私の新年への意気込みです。
すべての人類にとって、農歴庚子年がよい年であるよう、心より願っています。

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