第1647話 腰腿
- 2020/02/20
- 11:35

太極拳論曰く、「有不得機得勢处、身便散乱、其病必於腰腿求之、上下前後左右皆然」。この考え方は実際に何の意味なのかは本当に世の中の解釈はバラバラですね。その病は腰と足から探せとなっていますが、腰はどの状態で病なのでしょうかと、足はどうすればよいでしょうかと実に諸説があり、今日の太極の中では意外にも外家拳の考え方が大勢取り込まれていますね。毎日のように私のブログを読まれている方ならばきっと、くどいと感じますが、私は帰郷の際にいつものように若い頃に太極を教えていた公園で自分の練習をする習慣があって、まあ、呉式の人間(私の学生の学生と言う感じ)も他の武術や気功を練習する人間も声をかけては色々と指導をします。呉式の動作は間違っているとか、足の重心はかなり不安定だとか…腰は回っていないとか(私は骨盤をあまり回らないのは事実)、中には目があまり開いていないことまで指摘されますし、はじめの時に「開歩」がないことも指摘されたことがあります。中には、開歩がないと「其病必於腰腿…」として解釈している人もいましたね。どうも、「開歩」をすれば、「気」が下に沈むとか、この辺ははっきり言って太極の二流の国よりもでたらめですが、それでも今日の中国公演レベルの表れであり、人々はおそらくこのように適当に会話をしているだけで自己満足している気がしますね。まあ、これはこれで楽しんでいればよいですが、昨今では上海の各公園の太極拳教室も一等地に開かれている大豪邸の中の太極拳教室も休講しているようです。まあ、太極門の拝師弟子からの連絡では、学生の誰も月謝はしっかりと払っているようです。これはおそらく太極門に対する敬意の表れですね。コロナウィルスは各国の経済に大きな打撃を与えるのはもはや避けられないですが、太極拳教室の閉鎖で教える人間の給料がなくなる程の災害にならないように祈っているばっかりです。
確かに、太極のみならず武術のすべては腰と下半身の足の使い方はかなり大切です。特に太極は体全体による動きが要求されているので、人間のど真ん中に位置付ける腰と人間の基盤である足が如何に全体的な動きの邪魔にならないようにすることが当然難しいですね。太極の基本的な身体操作法は人体の自由度によるものであり、いかなる関節や骨格も互いにぶつかっている状態やまったく動けない状態では太極勁は到底有り得ないですね。片足を踏み込めば虚実、腰椎がかなり硬くてそれでも骨盤を動けば腰が回転しているような教えは論外です。
本日の太極拳論が何を話しているのかを説明して参ります。体の一か所でも相手の欠点への察知が遅れて、または一か所でも自身の力の伝達が滞っていれば、体の動きはバラバラになります。この問題の原因は腰と足で求めましょう。この原理は太極拳のすべての動きに通じます。
もう少しわかりやすく説明しますと、人間の腰椎は意外と動かしていかない限り、簡単に石灰化してしまいます。人間は日常生活の中でもしも振り向く必要があるとしたら、頚椎でこの動作を担当している場合がほとんどですね。人間は実際に歩行する場合は骨盤を揺れながらの動作になります。人間の実生活の中で腰椎を使うことはほとんどないと言ってもまったく過言ではありません。しかし、人間の中心部分に位置付ける腰椎の回転、更に硬い骨である骨盤よりもはるかに器用であり、太極はこの器用な動きをもっとも必要だとしていることで太極の練習は骨盤を左右に回転することではなく、腰、つまり腰椎の回転が必要です。
そして、人間の足は関節が少なく、骨盤の捻りでは股関節と大腿骨の捻られる関係ではない限り、骨盤の捻りはた捻ってはならない単方向関節である膝を無理して捻るだけになりますね。そうすると膝の怪我はさておき、機も失い、自身の内勁も下半身へ伝達しません。ただ、誤解は永遠に続きますね。
おっとっと、また、喋り過ぎましたね。本日はこの辺で…
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