第1663話 かつてと現在
- 2020/03/07
- 10:35

芸術の次はかつての太極門の先生はどのように練習していたのかを語って参りますが、中国の清朝末期や民国初期ではまだ西洋文化が国内に流れ込まれていなくて、娯楽と言っても本当に限られてしまいます。当時の北京では京劇が流行っていましたが、時代によって、生涯かけて武術を楽しむ人間は割合に多かったと思いますが、武術家も基本的に寂しくなることは人間の基本であり、只管、強くなることだけでは中々継続できないことも多々あろうかと思います。あの頃は阿片が流行っていた時代であり、何かの楽しみを求めようとして阿片に手を出してしまう者がかなり多かったですね。阿片ですが、吸うと人間はかなり気持ちよくなる錯覚になりますが、実際に体の多くの害を与え、特に武術家の場合は阿片に手を出すと骨全体がかなりすかすかになって簡単に折れてしまいますね。それでも、多くの武術家が阿片に手を出してしまい、武術の実力も麻薬でかなり低下します。当家の人間も他の太極拳流派の方も麻薬に手を出すこと人がいて、ある程度の期間で麻薬を吸引し続けると人と手を合わせることは難しくなり、一部の武術家は本当に晩年になってかなり悲惨な生活を送っていましたね。太極拳家の一人が麻薬にどっぷりと身を漬け、人様とてを合わせることが不可能になったところで門外不出し、毎日のように外で誰かが大声で手合わせを要請する声があがっていました。その太極拳家は最後、仕方がなく自殺しましたね。もちろん、今日では110番に電話一本で警察がすぐに飛んできますね。近代社会のしっかりした法整備で我々の自由が法律で守られており、今日の日本国では警察が令状がないといきなり民家に入ることまで許されていないほどに法が人の自由を守っています。しかし、かつての中国の法律は殴り合いも麻薬も、人の家の前での恐喝もはっきりとした刑罰が定まっていないので、武術家に対する色々な挑戦や嫌がらせ、武術家の麻薬吸引などの今日では中々考えられない法律の弛みはあの時代では当たり前でした。
よって、100年前の中国武術家は今よりも異なる難しい事情がありました。懸命に練習して一代の流派を築き上げては自身の子供があまり武術に興味がなかったりして、無理して武術をやらせても親の実力まではかなりの差がついたりします。家庭が裕福であれば、子供は懸命に武術を勉強しなくても流派が残っていれば生きていくことへの不安もありません。実際に、太極門の子孫が一般の武術家に簡単に負けてしまう事件も珍しくなかったと伺っていますが、これはいつの時代も同じでしょう。もちろん、今日の中国ならば、太極門の嫡伝者は基本的に巨匠や大師になるので、適当に民間人の誰かと手を合わせることは断じてないと言っても過言ではないですが、100年前ではもはや、相手よりも絶対的な強さを見せない限り弟子入り希望者は現れなかったと伺っておりますね。それは 日本も似ています。昔では簡単に刀で人を切ったりしていましたが、今日では、私が折り畳みをお預けの荷物に入れただけで北海道鎮千歳空港で40分の警察による尋問も受けていました。日本の美徳であるよそよそしさは大都会上海の一等地の生活様式に似ており、人様に声をかけることは失礼に当たりますので遠慮しますね。無理して人様と手合いを申し込むことはほとんど不可能でしょう。研究会はまもなく、7年目に入りますが、数人の変質者が私に乱暴に向かってきたことがあって、他に理不尽な手合いは一度もありませんでした。7年間、日本国の色々な美徳がこの私の教えを支えてくれましたし、私も日本国民が世界のどの国民よりも太極に適していることを確認しております。
本当に幸いなことに、日本人はたとえ若者の中でも古代的な生き方をしている方がいます。これはどれほどに凄いかはこの国で生活して、何とか反発しながらでも徐々にこの国になれる外国人や元々古い時代の生き方をしている日本人しか感じません。以前にも著名人の方々と会話をしたことが何度もありますが、その会話は、私が中国人であることを因んで著名人の皆様の周りにいる有名な中国人の話しばっかり聞かされていました。とどのつまり、最後は必ず、この国は平等ですのであなた(沈 剛)もチャンスがあるので、頑張ってくださいと、まあ、知人の紹介があっての会話でしたが、何故か日本国の著名人は、誰々の太極拳の先生とか、誰々という著名人に中国語を教えているとかでこの人は絶対凄いと決めつけてしまいますね。もちろん、間もなく来日して33年になる私はそうではない著名人とも出会っております。本当に感謝ですね。
人の本質的なところが見えてくることは誰にとっても時間がかかってしまいます。当然、近代に生活している我々は誰でも面倒くさいことが嫌いますね。これは、社会全体の過労と近代社会の人間関係の難しさから来ているものだと勝手ながら認識しております。少なくとも、100年前には中国の人々はまだ人間の本質的な部分と付き合う風習があったと感じており、これは私の祖父母や師匠馬岳梁、呉英華の二人の行いを見ているとしみじみに伝わってくるものですね。日本人の中では本当に不思議ですが、私とほとんど変わらない世代でもしっかりと人間の本質的な部分を捉えている方がすくなくありません。最近では、若者の中にも数人、古代人のように人間の本質的な部分を捉えている方を確認していますね。嬉しい限りです。
景気の低迷が長く続いており、去年から自然災難も伝発しています。消費税は多くの中小零細企業の不振に繋がっていることは多くの経済学者の研究で分かっています。私は幸いにも多くの古い生き方をしている方に囲まれており、呉式太極拳研究会はこの方々に支えられての7年だと言っても過言ではありません。会員の皆様と共に研究会はじまってからの最大の危機を乗り越えて参ります。
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