第1681話 必有事焉、勿忘勿助
- 2020/03/25
- 11:29

本日は孟子の言葉から来た四字熟語です。これは前の世紀の70年代後半に陳氏太極18世の方との交流の中で教わった陳氏太極拳理論の中の一句です。私はこれを思い出す度に古代の陳氏太極拳もうちが練習しているものとほとんどかわらないことを再認識しております。もちろん、私は何度も今日の陳氏20世以降の方々にこの陳氏祖先の残されている言葉で交流していますが、非常に残念なことに中々理解されないようです。一方、日本のネットでは、私が呉式が弱くないとでも言ったせいか色々と批判も起きていますが、陳氏祖先がどれほど道に従って色々と正しい太極を研究されたのかは今日の日本では中々明らかにされていないのが事実です。
陳氏十六世氏(1849-1929)の著作の原文は以下の通りです。
問,功夫何以用,必如孟子所謂「必有事焉,而勿正,心勿忘,勿助長也」而後可。
その大体の意味は、太極の功夫はどのように習得するのかときかれれば、孟子の言葉通りです。そうすれば大丈夫です。
孟子曰く、「必有事焉而勿正,心勿忘、勿助長也、無若宋人然…」
昔、中国の宋の国で畑の作物の苗が速く成長しないことを心配して、とある日に懸命にその苗を無理して上へ抜かしたのです。当然、根っこが土から出されてしまえば、苗は全部枯れてしまう物語がありました。
孟子はこれを引用していますね。
必有事焉而勿正、道の考えでは何事も必ず頑張って専念すべきですが、その結果を予測すべきではないし、いつもその期待すべきでもありません。
心勿忘、勿助長也、私達はいつも自分自身の稼業の原則を守り、自身が定まっている法則で頑張っていくのです。中国語では、「滴水穿石」という熟語があり、多くの哲学者がこれを引用しています。もちろん、道の基本では、いつ、どの時期に自身の頑張りの結果がどの形で現れるのかを考えないことが大切です。
中国南宋時代の哲学者朱熹氏がこう解釈しています。
「养気者、必以集儀為事、而勿預期其效」
道で自身の体や考えを修練する者は、色々な法則や思想を成熟させ、それを実行するのみですが、それがどの結果になって、どれほどの収益は考えるべきではありません。
太極拳の訓練において、決まった太極拳の練習を毎日のように続けれいればよいです。太極勁がどうこうっていう話しや誰々巨匠をいつ超えるのかを考えるべきではありません。
人生において、動はもっと正しい行いと仕事の法則の為に尽くすと考えていながらも、今月はいくらお金が入るのか、予算対比はどうか…いつ上場するかなど、予測も計画も無視しての行動が最も良い結果が残せます。
はっきり言って、人間は結果を考えると実はかなり疲れ切ってしまうのです。そして、結果ばっかりの武術練習はかえて、何の結果も得られない実例は今まで沢山拝見したします。太極の各家の祖先はいずれも素晴らしいも理論を残されています。各家の弟子はもっと勉強すべきだと思います。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。 会員様募集しております。
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