第1704話 意思のという言葉のニュアンス
- 2020/04/21
- 15:26
今後、いかなるネット上の議論は応じないこととさせていただきます。皆様のコメントは基本的に答えないことになります。質問は、会って、可能な限りお答えします。
一定レベルまで「懂勁」すれば私は喜んでお答えいたします。もちろん、この場合はネット上でも公にします。

意思、日本語では通常、何かをしようとするときの元となる心持ちとしての説明が多く、本人の意思に任せるイメージが強いです。また、日本語では、「意思」は法律用語でもあって、法廷では人裁判官や弁護士によっては「意思」を「犯意」として使われることもあります。
逆に、中国語はどうだろうかというと、何故かその意味が微妙にことなります。一番有名な笑い話では、外国人の中国語能力試験でこのような問題が出されました。まあ、これは日本人も西洋人も皆が大変でしょうね。
自粛も大分長くなったわけですので、我々は少しでも笑うようにできればと考えおります。中国語に自身ある日本人の方はやってみてくださいね。
以下の文章の中の「意思」という言葉の意味を説明しなさい。
とある日、部下が上司に札束を差し出して賄賂しようとした(中国では当たり前)
上司、你这是什么意思?
部下、没什么意思,意思意思。
上司、你这就不够意思了。
部下、小意思,小意思。
上司、你这人真有意思。
部下、其实也没有别的意思。
上司、那我就不好意思了。
部下、是我不好意思。
上司、你肯定有什么意思。
部下、真的没有什么意思。
上司、既然没有什么意思,那你是什么意思?
部下、其实,我的意思就是想意思意思。
まあ、一定レベルの中国語実力を持たれる方は多分、理解できたのであhないかと思いますね。この中に中国語の意思という言葉ではいくつの意味も含まれています。一、企て。二、気持ちだけ。三、仲間だと思っていないこと。四、特別な考え。五、普通の考え。六、申し訳ない。(不好意思)七、意味。
おお、中国語を国語とする私もかなり疲れてしまうのですが…
ところで、太極門というか、特に呉式太極拳の家の中では、「意思」という表現が頻繁に使われていましたね。ここは僅かに絞る「意思」。ここは薄い絹を軽く持ち上げる「意思」…または、糸一本を引くような「意思」などがあげられます。太極門の「意思」は七番目の意味にはかなり近いかもしれませんが、でも実際に、これらの「意思」とは非現実的な体の使い方になります。
わかりやすく言えば、これは一つの手つきでもなければ、脳の意念による動作でもありません。これは、古代導引術のように人間の体がいかなる支配もなく、勝手に自ら動き出される様子です。つまり、体が勝手に絞ったり、持ち上げたり、糸を引いたりすることになります。これがいわゆる「以意行気」ですね。まあ、これは本来、公に話してはいけない内容ですが、でも、実際に私が40数年かけて練習を繰り返ししていてもまだこの僅かな「意思」を完全に習得していないことを考えると、太極を教える立場の人間では学ぶ者にこのような最も肝心なことを隠してはならないと感じております。
もっと、わかりやすく言いましょう。太極の「以意行気」は体が勝手に動けるかどうかです。体はいつもの脳の指令によって、随意筋が動くという動作ではなく、一種のまったく異なる動きの習得が必要です。
新しく入会された方の一部は私にこう聞いてきます。呉式太極拳を一通りさらうとして何年かかるのでしょうかと、私はいつも、50年はかかるだろうと言っています。まず、家の中で教えている呉式太極拳の内容は他所の流派や適当に呉式と名乗っている人間ではわからない程の内容があります。一人の子供が真面目に呉式太極を何とかやろうとすると、一生涯をかけても習得終えないほどの内容があります。
同じく、新しく入会される方ではいつものように、この太極拳は覚えるにはどのくらいの時間がかかるのでしょうかと聴かれますが、私はいつも、人によって異なるとこたえて、自分自身は40数年かけて練習してもまだ完成していないと答えています。私の一部の会員は呉式太極慢架は一生涯かかるとも言っています。これは、この私達鑑泉社が教えている慢架において、無限の価値と無限の可能性を感じたからです。
これらの考え方、緊急事態宣言が解禁された後に入会希望の方との面談の際にしっかりと説明をして参る所存です。入会して、ああこれはいくら練習しても終わりが見えないとか、研究会は段も級も設けていなくてモチベーションは下がるとかで急に大会されても私達はただただ見学や面談の時間と無駄な力の費やしとの結果になるので、今後は教えるスタイルの開示と学ぶ方の気持ちの確認に力を入れて参ります。
今日の中国も日本も、西洋も多くの方も太極を健康目的で練習したいようですが、これは私も同様です。健康目的だからこそ、私達がこの世を去る日まで健康を維持していかなければなりません。太極拳は若い頃に懸命に頑張ったが、年取りましたので、そろそろ引退することは有り得ないでしょう。
当然、本日に言及した太極の「意思」というものも、短期間で習得できるようなものではありません。師匠呉英華は時々、幼い私にここはこう動いていて、このような「意思」がふくまれていると説明してくれています。もちろん、昨今でも師匠が一般向けのかなり手抜きした動画もネット見られていますね。私に見せる際のはっきりした動作ではないですが、私は実際に師匠が言っていた「意思」に関しては近年になってやっと理解できるようになりましたね。
太極の「懂勁」は数か月で出来るものではありません。そして、少しでも間違った教えに従うと、太極本来の「懂勁」よりは益々離れる結果しか残りません。
それこそ、太極拳論曰く、「差之毫厘、失之千里」です。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。会員様募集しております。
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