第1707話 双重と忘動
- 2020/04/24
- 10:31

双重、人間の骨格同志が力の伝達しないことを指しますが、巷で流行っている踏み込めば虚実、そうすると「双重」ではないとの考え方は論外にしましょう。
忘動、人間は攻撃をしようとする一瞬に自分自身が重心を失うことです。正確に申すと人間は攻撃しようとするとどんな達人でも一瞬の重心の移動があります。太極はこの相手の一瞬の重心移動を利用できる訓練を一番大切にしています。
おっとっと、申し遅れたのですが、私の研究会では単なる健康の為に太極を学びに来られている方もいれば、太極を一瞬格闘技として練習している方も大勢います。もちろん、表演目的に来られている方もいて、私が太極拳を担当している倶楽部は国内外の多くの大会での表演を目的としています。がしかし、私達はこのなる目的であっても、普段の練習はほぼ同じことを練習しています。そもそも、太極による格闘は何も激しい動きをする必要がありません。ただの健康目的の太極と同じ訓練をするだけでよいです。
その証拠として、本日は双重と忘動の二つの概念を分析いたします。
人間は訓練によって、骨格ごとにすべて自由になり、骨から骨へとぶつかっていない状態での力の伝達ができれば、粘手(ツアンシュ)は自然にできるはずです。今日の世の中ではおそらく、「十三勢」という言葉しか聞いたことがないでしょうが、昔では太極十三勢のことを「粘手」だと言っていました。
もう少しわかりやすく言えば、人間の骨の一本ずつが宙に浮いていれば、「粘手」の完成です。巷の13個の動作で十三勢への解釈はただのお子様の戯れに過ぎないでしょう。
忘動は、我々が人を倒す際になんだかの勢いをつけての反動のことになります。先日、アフターコロナの為にルート営業をした際に公園で若者が打撃の練習を拝見しましたが、打った一瞬に自身の体がかなり左右に動いていて、これならば相手のこの揺れを利用して攻撃すれば、体が斜めになって出ていくと感じて腹の中で思わぬ笑ってしまいました。これは厳しい営業の中でのエピソードでした。
世にはとにかく、踏み込めば「虚実」、腕に力を入れれば「掤」との見解が乱れ飛んでいますね。数年前に中国国内では狂人だと言われている格闘家が色々ないわゆる中国武術の達人に挑戦を挑み続けていました。まあ、あまりにも草卒な行動と乱暴な言葉遣いですので、狂人の評判はよくないですが、私は長い間に武術を練習している者として、狂人が指摘している内容自体は認めておりますよ。
狂人が一人の自称太極拳巨匠との試合の中、巨匠がスタートの際にいきなり前方の足を踏み込み全身に力を入れたところで狂人格闘家がいきなり猛スピードで攻撃しっかけたところ、巨匠は更に全身に力を込めてその一撃を止めようとしたが、結果はかなり飛ばされて倒され、ぼこぼこになったわけです。太極だと名乗っていたわけですので、私はかなり恥ずかしくおもいましたね。
後に私はこのような話しをBUDO-STATIONで知り合った空手の先生に伺ったところ、どうも近代の空手の中でもこのような全身に力を込めての攻防や死んだ立ち方を練習しているところが多く、近代人はもはや科学的な体の使い方から徐々に離れていく現実を共有いたしましたね。
太極は、健康目的にしても、格闘目的にしても、科学的に体を使うことではなにも変わりがありません。練習内容もほぼ同じです。太極の格闘も健康も自身のからのバランスから来るものであり、私達の毎日のゆっくりした動きの練習自体が双重と忘動を徐々に無くす訓練であります。
共に頑張ってまいりましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。会員様募集しております。
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