第1708話 表演服と太極の変遷
- 2020/04/25
- 11:07

日本国ではそもそも、伝統武術に関しては表演服なんかは基本的に関係ない話しではあります。動きやすくするためにはスポーツウエアや簡単な太極拳練習用のズボンを着用する者が多いですが、私の学生さんの一部では、建築現場用のおズボンで練習する者もいます。いわば、動き易ければなんでもよいですね。
逆に、太極がかなり流行った中国清朝の当時では、人々はファッションというよりもいかに丈夫な布で洋服を作るのか、またが一般的に人々は体を動かすことが優先される為に、股下が大きい洋服や全体的に大きい洋服が流行になっていましたね。よって、太極を練習する者は基本的に普段の洋服でも十分です。
まあ、ネットで調べればおそらく答えが出て来ますが、今日のいわゆる太極拳表演服はいったいいつ頃から流行って来たのかは私はほとんど興味がありません。今は亡き父に何度も中国清朝の庶民の洋服がどこかで調達できるのかと、出かけるついでに色々な知り合いに聴いてくれと頼んだのは数年前の話しですが、答えはあるとしたら相当の高値がつくのではないかで私も断念するしかありませんでしたね。世にはオーダーだといつの時代においても高いですね。
個人的に一番好んでいる太極服はこうなります。
かなり軽いシルク製のものでゆったりしていて、ほとんど何も着ていない感じで、いかなる動作においても力まずに動けることになります。このようなものはあるのかなと、今度、武芸堂の代表にでも相談しようと思っています。
体形がかなり悪くなった自分も例えば、太極服で街に出かけるのも抵抗がありますね。私はスーツはあまり好きではないですが、デニムや普通の近代のズボンが好きです。若い頃には体形がまあまあ良かったので、いかにして足を長く見せるとか、上半身の形をいかにきれいに見せるとかの工夫もしてみたのです。これは流石に今になって、私も徐々に興味がなくなってきましたね。動き易ければ、なんでもよい、自身の体形はもはや若者のような洋服には似合わなくなったと感じています。
私も、若い頃ではわざっときちきちのデニムで公園で練習していましたね。
「あの青年、体形がよくて、足が長くて、やっている太極拳もきれいね…」と、周りの色々な囁きが当時の自分自身への一種の快感であったことは事実です。まあ、私も若い時がありましたね。
私は割合に若い頃から太極の内面的な充実を実感していました。いかに静けさが太極内勁に不可欠であることを悟っていた頃には、自然と公園の奥へ隠れながらの練習が多いです。しかも、いつものお洒落な洋服は公園まで、トイレで着替えしてゆったりする洋服に着替えての練習になっていましたね。まあ、近代人って本当に面倒くさいですよね。日本で研究会を立ち上げてから、公民館などで定着してからは若い頃と変わらない行動をとってきましたが、私も少しは近代生活に慣れてきたような気がします。
美を見せることは誰でも持つ虚栄心だと言ったらまた、多くの方に怒られてしますのですが、現に世界のほとんどの国は太極拳の練習で何かが楽しいかと言われれば、美しい太極拳服はきっとその一つでありますね。洋服だけがきれいが練習内容が滅茶苦茶で怪我もしやすいのなら論外でしょう。
先般、鳥取県武芸堂の代表の方と色々な会話で知った話しでは、中国国内で手作りの刺繍の太極拳服の高いものでは、日本円にして数百万のものもあるようです。まあ、中国も極端にお金が動いていることには驚かされましたね。
武芸堂の表演服も私は驚いています。美しいと思います。来年になって、コロナが収まっている状態であれば、久し振りの表演会も予定していますが、その時には武芸堂に表演服をお願いしようと考えております。
美しい装いへの憧れは人間の本能です。しかし、それが太極練習の絶対的な集中を壊すのであれば、何も特徴のない最低限度の服装がよいかもしれませんね。
いつも申し上げていることですが、太極は無です。世には色々と無や無極などで命名していながらもいかに人間の機能的な動きを追及する人が多いですが、太極は、特に年を取ってからの太極練習者が力まずに動く必要があります。もちろん、近代社会の我々は誰でも色々な体の痛みを持ってしまうことが多いですが、なんとか絶えず体を動かすことを積極的に勧めたいです。太極服は我々の動きの妨げにならなければ基本的によいです。
太極服のことはさておき、このご時世ではありますが、私は皆様にできる限りの練習、一定の年齢になった方は無理のない練習をお勧めいたします。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。会員様募集しております。
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