第1713話 山とか壁とか
- 2020/04/30
- 09:50

このようなたとえ話は私が幼い頃より伺っておりますね。当時では同門の中では銭超群とか張金貴の2名の先輩はかなりの強さとして知られていますが、当家では今日も存命中の自称巨匠や大師の皆はかつての先輩のことを口にする際では、彼ら二人は山のような感じでまたは、壁のような感じだと言っていますが、実際に、太極拳をどのレベルで練習されているのだろうか、またはどのレベルで練習しているのだろうかと言われれば、まあ、冒頭の二人の手にかかれば結果的にわかるはずですね。また、当家でも他派の方でも手を合わせたことがあろうかと思いますが、4年前に他界致しました先代の三男の馬江豹師の強さはいかなるものだったのかを私は皆様に伺いたいですね。叔父馬江豹の速さと十三勢の上手さにはおそらく誰もが簡単に翻弄されたのではなかったのでしょうかね。叔父は115キロほどの体重もあったのですので、いかなる体の大きい人が全力で突っ込んでも、無理して止める必要がまったくなくて、普通に粘手(十三勢)を使っていけば、相手は自動的に重心が失うことになります。では、叔父は馬岳梁先生のように「粘手」と「引手」のバランス良さで相手の動きに完全に入られたのかと言われれば、それはそうでもないでしょう。
だいたい、昔から多くの太極を学ぶ者は何とか勝てそうが人には何故か全力でかかっていきますが、この人には最初から勝てないという恐怖心では、最初から前方へと出て来ないのですね。一般的に馬岳梁先生の練習法で申しますと、きちんと出て来て、虚歩も作ったものではなくて、何とか軽さで出入りをしていれば、先生も自ら喂勁するはずです。先生だって、若い人を育ちたいからですね。でも、いつになっても力で相手に向っていくのならば、特に懸命に教えようとする師匠に全力でぶつかっていくのならば、学ぶ気持ちはおろか、師匠だっていつになっても自分自身が試されている気持ちになると、適当にぶつけておいて、虚実で跳ね返すことはかなり簡単ですが、そうすると、何年練習しても自身の虚実がまったくできない人間はぶつけて虚実で跳ね返される感覚もまったくわからないでしょう。こうなると、先生の体は山のようだとか、壁のようなとかの感想が出て来ますが、正しい慢架の練習としっかりした盘手練習で少しでも相手の虚実の中に入っていく努力と自身の虚実の少しずつの形成であれば、先生の体は山のように壁のようにはならないはずです。
逆に、いつになっても力で学生や弟子に力で向かう師匠も少なくありません。世には力で勝負する巨匠もいれば、テクニックで勝負する人はもっと多いでしょう。当然、世には、力がある人間って絶対的に少ないはずです。テクニックは人間の年と共に鈍くなって、体力も落ちるはずです。私の同門の中では一定の年齢になれば門外不出になる者が非常に多いです。太極の練習で自身の健康や体力がごく普通に劣るのならば、失敗者に同然です。力派やテクニックはの師匠は限って、自身の弟子以外の人間と手を合わせないのが知られています。まあ、実力がないからですね。
私は日本でもあまり誰とでも手をあわせたりしないのですが、しっかりとした人格の日本武道の先生であれば、私はなんども手を合わせたことがあります。凄い達人にも会いましたね。もちろん、無理して手を合わせてくるまったく実力がない人間もいます。もちろん、これは研究会のはじめの頃のことでした。まあ、とうじでは一般的に太極は使うものにならないとの考え方は当たり前だと感じています。当然のことです。太極を少なくとも「粘手」(十三勢)が使えるようにならなければ、実際に人に勝ったにしても、他派の武術からするとこれは当たり前のように太極ではないことが明白であろうと、これは、他派の武術家も色々と太極拳論を研究していて、本来の太極はどのようなものであるかは、自称太極拳教室の人々よりも遥に理解していることが確認しております。日本は基本的に人様に声をかけることさえ失礼ですので、無理して人様に手合わせをお願いすることですね。もっと、沢山の交流が普通にできるとよいですね。まったく使えない武術や太極とまったく関係ないものであれば、自然とその不合理性が現れますね。
太極がその独自の虚実によって、神秘的な相手に自ら重心を失わせることが可能になります。
私自身はかなり健康の為に太極を練習しています。この歳になって、人様と無理して手合いをすることは私だって怖いです。もちろん、「粘手と引手」をバランスよく使い分けることができれば、勝つのはあまり難しくないのですが、相手の怪我なども心配するものです。
研究会では武術を目的とする方がかなり多いですが、太極を武術として使えるには他の武術よりも長いです。これは、入会希望者の皆様に話しています。
単純に健康目的で来ている方もいます。皆が仲良く練習しています。武術も健康も、当研究会では練習する内容が大差がありません。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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