第1737話 虚実と気血
- 2020/05/24
- 07:45

一般的に日本国では太極推手を聴くと、いいえいいえ、我々は健康の為だから、そんなことはけっこうですとか、特に人と戦うつもりはないので、推手はけっこうですとかのコメントは色々と伺ってきましたね。まあ、推手や盘手は確かに人が自ら重心が不安定いなるか重心を失ってしまうかになりますが、実際に多くの民間太極拳教室で力づきの押し合いは推手とは言えなくて、速く勝負を決めたいことで無理して相手の関節を殺してしまうことでもありません。推手は一種の人間の体の力学的な動きの訓練になり、体の各関節と骨格がバランスよく動けるようになれば、その人間は健康になります。そして、太極の推手は、毎日練習している太極慢架と同じことを練習していますね。その唯一の違いは、対人であるか否かです。よって、太極推手をそんなに恐れなくても大丈夫ですね。
まあ、多くの方の心配ごとはわかりますね。昔から民間の訳が分からない太極推手は中国各地で流行っていましたね。公園での喉の締めあいとか、全力で相手にかかっていたら飛ばされて、その勢いでまだかなり細い木を折ってしまったとか、色々と事件が起きていましたね。このような訳が分からない推手が訳が分からないうちに世界各国に流れ、当然のように漢文化と漢字文化をある程度共有できる国だと、訳が分からない推手の色々な変形も多発するはずですね。民間の色々ないわゆる太極拳教室を拝見していると本当にこれが太極拳なのかどうかは私レベルでは基本的に否定してしまいます。しかし、訳が分からない太極拳や推手が近代では圧倒的に多いことから、多くの民間の太極拳を練習したくてもどうしても推手への抵触的な感情になってしまいますね。最近も自称大師の者が何故か普通実力の格闘家に挑んでしまい、30秒間で三回もぶっ倒されたのですが、最後の一発で意識がなくなったそうですね。その動きを見ていると何故か街角でよく拝見するなんじゃら押し相撲推手にそっくりですね。
このような訳が分からない推手は見た目が狂猛で多くの方が恐れて避けるだけでしょうが、実戦でもまったく使えないので、まさに毒にも薬にもならないものですね。
私はずっと太極を語って参りましたが、自分自身が練習している武術の良さを語っても自身が誰にでも勝てるだとか、俺はけっこうできるのだとか、俺は戦えばけっこう強いとかを世間に言わない限り、狂人格闘家は探しに来ないでしょう。私が拝見したところでは、近頃の狂人はそんなに速いわけではないと思います。格闘の世界では彼より速い人はもっといますね。考えてみてください。れいの狂人格闘家は日本国の極真にはまったく挑んでこないですね。もちろん、一言極真空手と言っても実力がまちまちですが、私が知っている極真空手家の本当の強い方は人類ではない位にスピードとパワーを持っていますね。
練習もほとんどせず、練習している武術も胡散臭いならば、その人達の動き一つを拝見すればすぐにわかります。私も一人の日本人自称武術家の歩き方だけを見て、腹のなかで思わぬ笑ってしまうくらいですね。中国で自称大師の弱い人達が本当に自分自身の弱さがまったく知っていない状態で偉そうになっていたら、狂人格闘家は当然、突っかかってきますね。
とここまではかなり脱線したようにどなたもきっと思いますね。申し訳ございませんが、ここまでは本日のテーマを懸命に説明しています。
わかりやすく言えば、太極推手はいかなるものであるべきか、逆にどのような推手は太極と関係ないものかを説明しています。
太極の場合は、一個ずつの関節や骨格が開かれている傾向にあるのでしょうかと、そして、このような一個ずつの関節や骨格の状態が長く続いていれば、人間の体の潜在的な力がやっと解放され、その潜在的な力(気血)は関節と骨格が自由になっている状態で徐々にそれぞれの奥へ染み込むことができます。こうなれば、人間は本当に健康体になりますね。
太極の慢架は自身の体が大地の引力を受けるくらいの外的な牽引で徐々に各関節と骨格を徐々に訓練することですが、逆に推手は大地の引力の他に対人である条件が付けくわえたので、より効果的に我々の様々なジョイントに気血注入できる状態になっていきます。
ここまで、私は本当にさらっと書いてしまうのですが、でも実際、我々はほとんど動けない関節や骨格を稼働させて、しかも、完全に自由にさせるまではどれほどの苦労をしてきたことは、ここまで到達している人間しかわからないと思いますね。
こうなるとまた、多くの方が太極への恐怖心を煽ってしまいますね。誠に申し訳ございません。実際に我々は何を練習しているのかというと、毎日のようにしっかりと慢架を繰り返し、仲間としっかりと十三式盘手練習を繰り返しだけです。そして、私は体の部分的な虚実が出来てきた会員様に「喂勁」と「走勁」を続けるだけです。
私も先代より同じ練習が提供されていました。もちろん、呉式太極拳は他にも沢山の内勁訓練法があり、武器套路があり、私はできれば、先代より受けたものを失わせたくない気持ちでいっぱいです。
もう一回本題を整理致しましょう。太極推手は太極基本拳と同様に我々の一つずつの関節と骨格が虚実状態になる訓練になります。もちろん、人を倒すよりもまずは太極の訓練で人間は骨格のバランスで命のバランスを手にすることができます。
そして、この世界では現在、百人の太極という名前のものを教えている人間に聴けば、百通りの答えが出てくるのが現実です。どのような太極が正解かは学ぶ人間が選ぶしかありません。これはきっと、多くの方を悩ませていますね。
まあ、本格的に太極拳教室を選ぶには中国の近代史、近代中国の社会構造、太極がどの時点でどのように世界に広げたのかなどを学習すべきだと思います。
そして、昨日のブログにも言及致しましたように、今後の当研究会の面接も若干厳しくなります。中途半端で遊び人のような気持ちで入会されたい方の入会を断る場合も出てくると思います。これはあくまでも、真面目に練習している方々への配慮だとご理解いただければ幸いです。
頑張って参りましょう。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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