第1738話 有不得機得勢処、身便散乱
- 2020/05/25
- 13:39

これもまた、激しく戦っているように感じてきますが、全体的に太極拳という言葉の中に拳が入っているだけで大極もいつの間にかは一発が来たらどう一髪返すようになりましたね。そして、色々な中国映画や武侠ドラマのお陰様で世の中に色々な太極拳教室は大極の用法を懸命に研究しています。「盘架為本、推手為用」の理論はどこに消えてしまったのかは本当に不思議に感じますね。制定太極拳では推手の套路がありますが、互いに適当に回っているだけであって、大極の基本盘架から来るものとは思えないですが、世の中のいわゆる伝統大極がいかにも大極を他の武術のように相手にどう当たっていくことで構築されてきたこともあって、逆に推手は制定太極拳の套路のように思われてしまうこともあまり珍しくないです。
私も実際に色々と聴かれていますね。一発殴ったらどう返すか、太極拳は本当は健康法に過ぎないでしょうねと、まあ、ネット動画の色々な太極拳の用法を拝見していると確かに少しでも格闘技の知識や経験がある人がご覧になると確かに使える武術ではないですね。はい、それは私も同感です。
逆に、今日に至るまで、多くの人が当研究会を見学していて、慢架の練習にも興味がなく、盘手練習もいやいやして、なんか、私がやっているものがいかにも健康法のようで見学の時点でいやいや顔をされながら、まあ、こういうケースのほとんどが誰かの同業者に遣わされた偵察と思われるケースが多く、私はこれらを見抜くとあまり積極的に手を合わせようとしないですね。そうすると時折、一緒に盘手練習している当会会員さんに力づくで押し込んだりします。まあ、私が代わりに受けるしかないことも何度かありましたね。軽く触っただけでだいたい体が浮くのですが、それでもこの状態においてご自分がどれほどに不利になったことがまったく理解していないようで、一発殴ったらとかを条件にしますが、もっと、凄い状態で負けるでしょうと言いたいところですが、だいたい、こういう人は研究会には入らないことがわかります。
今後は見学の途中でも、今回の見学はここで終了とさせていただきますと、入会は見合わせだと明言することを決めました。コロナ騒動で私も色々と切羽詰まっている状況の中で色々と今までの反省をしっかりとさせていただきました。今後、自身の体の研究がまったくしていなくて、それでも強い自己主張の人は入会を見合わせさせていただきます。
このように、全世界では昨今、コロナで多くの人が暇でネット色々な動画が出されていますね。狂人は色々と何故か伝統武術の色々な雑な人間を倒し続けており、伝統武術はまた、とんでもない色々な武術の用法を披露し続けています。
自由社会では宣伝の自由も最大限にあれば、普通の生活の安全も守られています。日本国では格闘の大会があっても、適当な道場破りで人の自由と商売を干渉する行為は禁じられており、いかなる理由があっても人様の生活や正当な商売を邪魔する行為は違法です。
これが自由国家のメリットです。
武術の世界ではこれほどに自由にやりたいことがやれるわけですので、私は本当に日本国はよい国だと実感しています。
がしかし、人間の体の最も基本的な動き方は武術の基本である説はただ強さを求めているだけの人間には理解できないはずです。そして、今日の色々な武術家や武道家は人間の基本的な状態について理解できている状態とはかなりの距離があると感じています。
太極拳論が言っている「有不得機得勢処、身便散乱」は、人様に向っていく時に体の僅かなところが同調していなければならないを言っています。
もちろん、これは狂人格闘家の攻めの中にも体のすべてのパーツが自由に動けているとは思えません。私にはどうしても滞るところが見えますね。まあ、幸い、中国の狂人格闘家は日本語が読めないと思いますが、そうではなければ、私は本当にブログを書くことも出来なくなりますね。
太極がいう得機得勢は体のパーツが他のパーツから独立することです。人間の骨格と骨格が一つの鉄の塊になっていたら、武術の勢になるのでしょうかと、私は多くの武術家や巨匠、格闘の達人にうかがいたいのです。
皆様は自身の体をどれほどに修正されたのでしょうか。
封建社会では、手抜きしない太極拳は家の中でしか見せません。私は研究会の中で出来る限り、かつての家の中の太極拳を教えております。これは、家の中の太極拳の短縮版です。
会員様募集しております。
伝統太極は本来、練習する際に音楽をかけるべきではありません。その理由は、耳が脳にかなり近く、刺激的な音や声は脳の絶対的な静粛を邪魔するからです。もちろん、太極の凄い達人ならば、脳が音楽の振動を感じても絶対的な静粛を守り、逆に体内の内勁で音楽による空気の振動と同調して動くことは可能です。
私はこれを目標にして修行致します。
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